『冷たい夜の月の下』Cold night under the moon.


第1章 始まりの終わり〜a start〜

2.

 翌朝、制服に着替えながら胸を見てみる。そこには滑らかな肌があるだけでベッドの入るまでには確かにあった傷は跡形もなかった。こうしてみると昨夜エルネストが言ったとおりに悪い夢を見たのだとも思える。けれど、ゴミ箱の中には破れて血のついた制服が入っている。新聞にもあの公園で女性の不審死体が発見されたことが記事になっていた。女性の死因は失血死だったが外傷は首筋のふたつの小さな傷だけだということも。
 琴音は一日中昨日のことを考えていた。公園での出来事。ヴァンパイアだという男。ゆきのが言ったこと。エルネストが言ったこと。そして自分にあるという力。
 なかなか考えはまとまらなかった。その日は部活にも行かず、結局そのまままっすぐ家に帰った。
 着替えもせずにひとり部屋の中で考え続け、いつしか窓の外には夜の闇が広がっていた。
 気がつけば月が白く輝いていることに気がついた。そして、共働きの両親がいつもの帰宅時間を過ぎても戻らないことにも。
 何やら異様な雰囲気が周囲を押し包んでいる。それはなんとも言えないもので、琴音は予感めいたものを感じて恐る恐る後ろを振り返った。
そこにはぺたりと窓ガラスに張り付いた青白い二本の手。

 

 窓を割って入ってきた女に抱えられ、琴音は一軒の洋館に連れてこられた。女はまったくの無言のままである。むき出しの首筋をちらりと見ると、血の気を失った肌に赤黒いふたつの点状の傷が見えた。
 両腕を拘束され、いささか乱暴に床に転がされる。そこはサロンかホールなのか天井が高くガラス張りになっている。そして、降りそそぐ月光の輪の中にたたずむ黒衣の男。それはまぎれもなくあの公園で会ったヴァンパイアである。
 ヴァンパイアはしばし琴音を見下ろしていたが、琴音の髪を無造作にわしづかみにすると長い爪ですっぱり切り落とし、それを先ほどの女に渡す。
「何するの」
 非難がましい声をあげる琴音につまらないものを見るような目を向け、
「招待状がわりだ」
「招待状?」
「そうだ。あの薄汚い裏切り者を呼び出すためのな」
「裏切り者って・・・?」
「昨晩食事の邪魔をした女だ。黒い犬を連れていたな」
 ゆきのとエルネストのことだとすぐに分かった。だが、なぜゆきのがこの男から裏切り者と呼ばれるのか。それはこのヴァンパイアと彼らに何かしらの繋がりがあったということだろう。琴音の脳裏にひとつの仮説が浮かび上がり、口からこぼれた。
「あのひとたちが吸血鬼・・・?」
 ヴァンパイアは心外といった顔を見せる。
「話をしたのだろう。見ただろうあの女の左手の十字傷を。あれはセイントというもっとも罪深き裏切りの証。人間どもの神を敬い同族を殺す。許されなき存在。言わなかったのか彼奴らは。貴様も同類だというのに」
「同類って、わたしは人間よ!」
「本当に何も知らんのか。あの忌々しいダンピールだということも」
 にやにやとヴァンパイアは笑っている。
「ダンピールは人間と裏切り者が交わって生まれたもの。生まれながらに我らが高貴なる血統を汚す忌むべきもの。それだけでも許せぬというのに我らを滅ぼす力を有する」
「わ、わたしは・・・わたしの両親は人間よ! ヴァンパイアなんかじゃない!」
「ならば何代か前に血が混ざったのだろう。数代経てその血が貴様に現われたか」
「知らない! そんなこと知らない!」
「どのみち災いの芽は摘み取らねばな。裏切り者どもを始末したら貴様も送ってくれる。安心しろ血は吸わぬよ。塵になるまで切り刻んでくれる」
 ヴァンパイアは高らかに笑うとぱちりと指を鳴らす。とたんに琴音を囲むように床に紋様が浮かび上がる。
「結界だ。無駄だと思うか? 一歩でも出てみろ、こやつらを殺してくれる」
 そういって指し示した先にいるのは虚ろな顔をした琴音の父親と母親。ふたりに首筋には吸血の痕がある。
「貴様はそこで見ているがいい」
「・・・もし、もしふたりが来なかったら・・・」
 小さな声で琴音は問いかける。
「別の手段をとるまでだ。貴様は夜明けまでには殺すがな」
 残忍な笑みを貼り付けてヴァンパイアは答えた。

 

 ひらひらひら
 どこからか迷い込んだのかいつの間にか蝶が部屋の中をはばたいている。場違いなほどに真っ白な輝くように美しい蝶。ひらひらとはばたきながらやがて蝶は床に下りかぼそい足が接した瞬間、忽然と白き少女の姿に変貌する。胸に銀の短剣を抱いていた。
「ご招待により参上いたしました。ゆきのと申します」
「来おったな。我が名はセルブス。同族殺しの罪、我が裁可を下してくれる」
「セイントの名において闇を払ったまでのことです。いわれなき罪を糾弾される覚えはありません」
「ふざけたことを!」
 セルブスは一瞬の間に距離を詰め、ゆきのの首もとを狙い爪を振るう。彼女はそれを上体をわずかに後ろにそらすこととで避け、伸びきったセルブスの腕に斬りつける。
 瞬間、まさに絶叫というべき悲鳴が上がった。銀の刃に傷つけられた腕は火傷を負ったように醜く焼け爛れている。セルブスの瞳は憤怒と怨嗟でぎらぎらと赤く光り、琴音には理解できない言葉をわめき散らす。おそらくは罵倒の言葉なのだろう。
「下僕達よ!」
 セルブスの呼びかけに物陰から現われたのは複数の若い女達。皆一様に血の気が失せ、顔に生気がない。わらわらと女達はゆきのを取り囲み手を伸ばす。
「エルネスト!」
 漆黒の毛並みの犬が矢のような速さで走りこんでくる。エルネストはそのまま琴音のそばにやってきた。何事もなく結界を通り抜けるとすばやく琴音を捕らえる枷を食いちぎる。
「ぼーっとすんな。さっさと逃げるぞ」
 エルネストは琴音の両親に当身をくらわせるとその体を担いで走り出す。琴音は夢中でその後を追い、セルブスのしもべたちも追いすがる。
「三下は引っ込んでろよ」
 飛び掛って女達をけん制する。そのエルネストの足を倒れたひとりが掴んだ。そのために体勢が崩れその隙に攻撃を受ける。なんとか振り抜きエルネストは一階下の手近な扉に飛び込んだ。
「エルネストさん!」
「さんはいらんぞ」
 黒い毛並みのために判別しづらいが、流れる血は決して少なくない。
「まったくなんて数のレッサーを飼ってやがる。用心深すぎだぞ。
お前さんはここにいな。ヴァンパイア除けの結界はってやるから。俺らのことは心配ないぜ。ゆきのは並み以上のヴァンパイアだし、俺はもとダンピールだからな。
大方あのヴァンパイアから聞いたんだろ。ヴァンパイアってのはおしゃべりだからな。その上嘘はつかん」
「なんで昨日話してくれなかったんです」
「そりゃぁな。ヴァンパイアに殺されかけて自分にもその血が流れてて仲間になるやつもヴァンパイアですって、言われてすんなり受け入れられるか? しばらく考えてもらいたかったんだよ。お前さんのこれからの人生を左右する問題だからな。情報が少なすぎても多すぎても混乱するだろう」
「隠されるよりはましです」
「それは悪かった。まぁとにかくここで大人しくしててくれ。すぐに終わらせる」
 四肢を踏ん張るようにしてエルネストが立ち上がる。腹の下には大きな血溜まりができている。
「行くんですか! そんな傷で」
「さすがのゆきのも多勢に無勢だからな。まぁ、やられるとは思わんがあいつがきれるといろいろ厄介なんだ。それに、ここでやつを仕留めんと被害が増える。お前さんも安眠できんだろう」
「待ってください、わたしも行きます。わたしも父さんと母さんを助けたいから」
 幾度も斬り結び、あちこちに下僕の女達が倒れ付している。
「焦ってらっしゃいますね。もうすぐ夜明けですもの」
「案ずるな、決着は着けてくれる」
「同意見ですわ」
 短剣を逆手に構えると左手で貫手を放つ。セルブスの体勢が崩れたのを見てとると左目に剣を突き立てる。悲鳴をあげながらもセルブスはゆきのの下腹を刺し貫く。とたんに弾けるように少女の体は無数の白い蝶へと変じた。纏わりつくようにセルブスの視界を奪う。セルブスが群れる蝶から逃れようとした瞬間、みぞおちに焼けるような痛みを感じる。見やると蝶の間を縫うように突き出された銀色の刃が己の腹部に刺しこまれている。蝶の向こうに両手でしっかりと銀の剣を握るダンピールの少女の姿があった。その手にさらに力が込められ、心臓が切り裂かれる。
 地を揺るがすような叫びを上げながらヴァンパイアの体は塵へと崩れていった。

 

 かちりとノブが回り、ドアを開けて琴音とゆきのが入ってくる。
「お、無事に帰ってきたな」
 ぺたりと床に伏せていた黒犬が頭を上げる。
「ゆきの、あとひと仕事頼むぜ」
 エルネストに促され、琴音の両親の首筋に口づける。
「何を・・・」
「浄化だよ。こいつがゆきのが普通のヴァンパイアと違う点だ。あいつは他のヴァンパイアに咬まれた人間の血を吸うことでその人間に掛けられた支配を解くんだ」
「ぜんぜん知らないことがいっぱいなんですね」
「世の中そういうもんだよ」
「知らなきゃいけないんですね」
「・・・は?」
 きょとんとしたエルネストに琴音はにっこりとほほ笑むと、
「わたしがんばりますから、これからもよろしくお願いしますね」

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