戦場の幽霊【2】


 ひとり病室に取り残されたレナは、グラッドが出ていった扉をしばらく見つめていたが、大きく息を吐くと視線を窓に向ける。こんな時に感情のままにま弥陀を流すことができないのがなんだかくやしかった。
 眼下に広がるのどかすぎる昼下がりの情景。それを見るともなしにながめる。ふと、その中に意外なものをみつけてレナは目を見張った。かろうじて動く上半身を駆使して窓を押し開ける。飛距離と空気抵抗、目標の予想移動速度を長年つちかった勘でもって瞬時に計算する。手近にあったステンレスのカップを放り投げた。入院生活で筋力が落ちたとはいえ、並の成人女性に比べれば十分にある。回転しながら飛んでいったカップは、狙いたがわず目標の頭を直撃した。
 突然の衝撃に痛む頭を押さえて周囲をきょろきょろしている相手に声をあげて手を振ってやる。レナに気がついたその人物は驚きに目を丸くしている。上がってこい、とジェスチャーすると、こくこくと首を振った。

 ほどなくしてレナの病室に現れた彼は、肩で大きく息をしている。律儀に走ってきたのだろう。レナとさほど年のかわらない、ひょろりとした体躯の男。鼻に乗った眼鏡が少しずれている。
「久しぶり」
 そう言って、彼――アレックスはまだおもわぬ再会の衝撃から抜け出せていないようだった。
「うん」
 そんな相手にレナはいたずらがうまくいった子供のような笑みを返す。
「座れば」
「あ、うん」
 わたわたとさし示された椅子に腰を落ちつけ、これ、と差し出されたカップは少し変形している。
「えっと、びっくりしたよ。こんなところで会えるなんて。どうしたの?」
「こっちも驚いたわよ。ちょっとどじっちゃってね。背骨がいかれて腰から下が動かないのよ」
 あっけあかんとした声音と表情で実状を伝えるレナに対して、アレックスは眉尻を落としてひどく辛そうな悲しそうな顔になる。これではどちらが患者か分からない。
「それは……お気の毒に」
 なんとかかんとか絞り出したアレックスの声は言っているほうがお気の毒になる調子だ。
「ところで」
 レナはアレックスを見上げるとにやりと笑う。
「約束は覚えてる?」

 約束――それは3年ほど前にさかのぼる。
 レナの所属する傭兵団の、その日の仕事は輸送隊の護衛だった。案の定、予測されたポイントで敵の襲撃をうけ、戦闘に入ったのだが、そこで想定外の事態が起きた。たまたま運悪く、同じルートを通っていた一般人がいたのである。それがアレックスだった。
 いやおうなく戦闘に巻き込まれた彼を助ける義理はなかったのだが、見捨てる道理もなく、結果として、レナがアレックスの命の恩人という形になったのだ。その際に、当然のごとく助けてやった料金を請求したのだが、あいにく当時貧乏学生だったアレックスには手持ちがなかった。ならば出世払いで、と言って別れた。請求したレナにしてもなかば冗談だったので、結局それはその場の軽口のようなものになった。なので、お互いにこうして再会するとは夢にも思っていなかった。

「ここで払ってくれない? あんた医者で頭いいんでしょ。あたしをもう一度、戦場に立てるようにしてほしいのよ」
 これはたんなる冗談だった。ほんのちょっぴりだけ、この生真面目で人のいい青年を困らせてみたかった。グラッドとはまた違った応えを返してくれるだろう彼で憂さ晴らしがしたかったのだ。だから、次のアレックスの反応はレナにとって意外だった。
 アレックスはひどく厳しい表情になると、なにも言わすに立ち上がり、ドアへと向かう。怒らせたかな、と思ったのだが、彼は扉に鍵をかけると戻ってきた。そして、互いの鼻先が触れ合うほどに顔を寄せる。その表情は、思わずレナが身を引きかけるほどに真剣なものだった。
「君は、その望みを叶えるために、今あるすべてを捨て去る覚悟はあるかい?」
「……どういう意味?」
「そのままだよ。君がこれまで歩んできた人生。レナ・ヴィルゴという存在そのもの。それを失うことに耐えられるかい? 歴史の表舞台に二度と出られなくても、親しい者と二度と会えなくなってもかまわないかい?もしもそれでいいというのなら」
 アレックスは口の端をつり上げる。とても似合わない笑い方だ。
「僕はもう一度、君を戦場に立たせてあげることができる」
 その視線は本気だった。嘘や偽り、冗談はいっさい含まれていない。
「どうやって?」
 レナの当然の問いかけに、アレックスはぴたりと彼女の額を指し示す。
「脳の一部を残して、すべてを機械と入れ替える」
「そんなことが」
「できるんだよ。簡単にいえば義手や義足の延長だから」
 技術革新のおかげで生身の筋肉や神経を義肢につないで、生来のものと大差なく動かせるのはレナも知っている。実際に四肢が義肢という同業者に会ったことがある。けれど、人間の体の中で、機械で代替できるものは今の段階で限られている。アレックスが言うような全身を機械化する技術の開発が北のある国家で進められている、レナもそういう噂は聞いたことがある。だが噂である、まだ確立してはいないはずだ。
「理論も技術も材料もそろってる」
 自信をもって彼は言う。そうだろう。彼は現在、天才の名をほしいままにしているのだから。
「ただ、」
 そこで小さくアレックスは苦笑する。
「誰でもいいってわけじゃない」
「なんでわたしを選んだの?」
 レナの傭兵としての勘が、単なる科学的好奇心ではないと告げている。アレックスの思惑にはもっと深い理由がある。
「君は今の状勢をどう思う?」
「どう、って?」
「僕らが生まれるずっと前から戦時下にあるっていうこの状況をだよ。戦争を始めた最初の理由なんか分からなくなって、どことどこが対立しているのかも分からなくなってる。報復に対する報復が繰り返されて、すべての技術は戦争のために破壊を生み出す手段でしかない。それがこのまま人類が滅びるまで続くんじゃないかな。もう、この争いは自然には止まらないよ」
 そこまで言って、アレックスは言葉を切った。なんだかひどく疲れているように見える。
「本当に馬鹿げている。僕はこのくだらない戦争を終わらせたいんだ。そのためには新たな火種が必要なんだよ。すべてを吹き飛ばすほどの火種が」
「つまり、わたしにその火種になれ、と」
「正確にいうとその一部にね。君になら託せると思うんだ」
「そりゃどうも。にしても、あんた見かけによらす過激なことを考えてるわね」
 レナの多分にあきれを含んだ台詞に、
「知ってる? かつて油田の火災はニトロで吹き飛ばしたんだよ」
 毒をもって毒を制す、とも言うしね。と、アレックスは笑顔で返した。
「ところで、いろいろしゃべってくれたけど、ここでもし、あたしが人を呼んで今聞いた話をしたらどうするつもり? 危険思想の持ち主で捕まって、確実に終身刑ね」
 アレックスは心の底から戦争を止めようと考えている。レナは心の底から戦場に戻りたいと考えている。
「その点は大丈夫。絶対に君はそんなことをしないから」
 彼が嫌うのは戦争が個人の意思を自由を壊すから。彼女が望んでいるのは戦いの中に生まれる高揚感。
「あらま、たいした自信だこと」
 それがどんな理由で始まって、どんな結果で終わっても、当事者同士の争いならば、アレックスは応援もしないが止めもしない。己の意思の下で起きたことならば、それは生き物として当然のことなのだと思うから。だからこそ、この戦争状態がひどくくだらなくて気持ちが悪いと感じるのだ。だから望むのだ、終わらせたいと、壊したいと。
「そうだよ。僕ってけっこう自信家なんだ。天才だからね」
 暴力が好きなわけではない。他者を制することが楽しいのではない。ただ純粋にレナは戦うことが好きなのだ。強要されたものでなければなおいい。ぴりぴりとした緊張感。一挙手一投足の駆け引き。そこには恨みも敵意もない。向かってくる相手には容赦はしないが、逃げる相手を、戦意を喪失した者を追うことはない。それは戦いではないから。
 互いに口の端に笑みを浮かべて見つめ合う。
 さきに視線を外したのはレナだった。目を閉じて、息を吐くと、目を開ける。
「オーケー。あんたを信じるわ。いっさいがっさい捨ててやろうじゃない。そのかわり、絶対にあたしをもう一度、戦場に立たせてみせなさい」
「もちろん。まかせておいてよ」
 そう言うと、アレックスは手を差し出す。レナは迷うことなくその手を握った。

 レナは再び戦場に舞い戻り、アレックスが望んだどおりに戦争は終わった。彼自身は終結を見届ける前に死んでしまったが。
 終戦後の世界は混沌をきわめた。戦争のための技術のあらかたは破壊しつくされ、軍事部分に重きを置いて発展していたために、人類の文化水準はずいぶんと後退してしまった。長年の戦禍によって、自然環境の変化もいちじるしく、大地の大半は荒野と沙漠が占めている。そんな中に失われなかった前時代の技術の一部が点在するという、奇妙なバランスの上に成り立っているのが今の世界の状況だった。

<前へ> <次へ>

Back

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送