戦場の幽霊【1】


 氏名:レナ・ヴィルゴ
 性別:女性
 年齢:不詳(20代前半と思われる)
 生年月日:不詳
 出身地:不詳
 職業:《元》傭兵

 抜き身のナイフをもてあそぶ。指先でくるくると器用に回転させる。投てき用の細身の刃が陽光を反射してきらきらと光る。
 不意に、わきから伸びてきた手がナイフを取り上げた。
「危ないぞ」
 ナイフを奪ったグラッドを、レナは軽くにらみつけた。
「そうね、危ないわね。うっかり首を切っちゃったり、うっかり心臓を刺しちゃったり。危ないわね」
 完全にすねた口調のレナに、グラッドは苦笑する。
「笑えない冗談だ」
「本当に冗談じゃないわよ」
 取り上げたナイフをサイドテーブルの引き出しに収め、グラッドは用意されていた椅子に腰をおろした。
「五体満足で死ねるとは思っちゃいなかったけど、こんな中途半端な状態で生き残るなんて」
 ベッドに横たわるレナの機嫌はななめのまま。
「まったく、脊髄損傷で半身不随だなんて、最悪じゃない。だいたい、刺すなら刺すでしっかりやってもらいたかったわ。それがプロってもんじゃない。そうすりゃ今ごろあたしは天国よ」
「おまえが天国に行けるかよ。それに、しっかり刺される前に、その相手をぶった斬ったのはおまえだろうが」
「なによ、そんなの当然じゃない。やられたらやり返すってのがこの世界のルールじゃない」
「そりゃそうだが」
 子供じみた無茶な理屈をつけるレナに、グラッドは少々あきれた口調で返す。
「死に場所は戦場だって決めてたのに」
 レナはぶちぶちと口をとがらせて言う。
「もういいからゆっくり養生してろ」
 グラッドの台詞に、レナの眉がぴくりとはねる。
「ゆっくり? 養生? できるわけないじゃない。それで治るっていうんならいくらでもやってやるわよ」
 ひたりとグラッドに据えられたレナの瞳は、かつて戦場で敵を相手に向けられていたものに似ていた。
「ねえ、グラッド」
 空気が変わる。レナもグラッドも死を日常とし、時にはそれを冗談の種にする傭兵だ。だからといって、死に鈍感なわけではない。むしろ敏感である。そうでなければ生き残ることはできない。死が日常であるということは、それだけ死がおのれに近く、気を抜けばあっという間に捕まってしまう。
 だから、グラッドには、この後に続くであろうレナの言葉に予想がついてしまう。
「ひと思いにあたしの人生ここで終わらせてくれない? 簡単でしょ。もちろん、恨んだりしないから」
 口調は軽く顔には笑顔を浮かべていても、そこにはレナの覚悟がこもっている。
「……レナ」
「自殺はしたくないの。それがあたしにとって最後のプライド。こんな状態で生きててもしかたがないもの」
 そんなことはない、とはグラッドには言えなかった。互いに多少の違いはあれど、望んで傭兵の道を歩んできたものどうし。もはや、戦うことがアイデンティティのひとつになっている。それを今さら失うことはどんな傷よりも痛むだろう。そんなレナにとって、いまの状態はまさに生殺しである。
「それに、自分の食いぶちを稼げない人間を養えるほど、うちの団は経済的に豊かだとは思えないし。だったらいっそ」
「レナ!」
 怒りすら含んだグラッドの声に、さすがにレナも口をつぐんだ。
「その冗談は本当に笑えない」
「……冗談じゃないもの」
 レナの顔から、それまであった笑顔が消えた。
「本気だよ。どうしろっていうの。もう立ち上がることすらできないってのに。あたしは傭兵なの。戦うことしかできないの! 戦うことしか知らないの!」
 ひと息にそう言うと、レナは顔を伏せてしまう。
 レナの思いは分かる。それでも、グラッドはレナに生きていてほしい。レナは知ることはないが、グラッドにとって、レナは失いたくないもの、のひとつなのだ。
 震えるレナの、布ごしに見える肩の線の細さに今さらながらに気がついた。武器を振るうための筋力がほとんど失われたことを示す証。それに哀しさとともに、愛おしさも感じる。その肩を抱いて、胸を貸してやることはできない。それはむしろレナを傷つけることになるから。
「あきらめるなよ。おまえがあきらめないかぎり、俺たちもあきらめない。今までだってそうしてきただろう」
 グラッドの言葉にゆっくりとレナは顔を上げる。その表情はいつになく幼く見えた。
 血風渦巻く戦場を駆け抜けてきたとはいえ、レナはまだ若い。ようやく体も一人前の大人になったばかりなのだ。むしろ、これが年相応というべきか。見たことのないその姿に、グラッドの心は大きく不安で揺れる。
「大丈夫だ」
 根拠も自信もないけれど。先のレナの言葉どおり、団の経済状態もあまりよろしくはない。戦局も不安定で社会情勢も先行き不安。とてもではないが楽観視はできない。だれもかれも自分を生き延びさせることで精いっぱいなのだ。今はまだ、団もレナを切り捨てることは考えてはいない。だが先は誰にもなにも分からない。
「また来るからな」
 瞳に泣き出しそうな色を浮かべるレナを残していきたくはない。かける言葉ももう見つからなかった。
 罪悪感に似た想いを抱えながら、グラッドは病室を後にした。

 

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