恋愛マイノリティー


 佐伯滋は男のような名前ではあるが戸籍上も生物学的にも女性である。年長者に言わせれば、やや性格は男性的ではあるが。そして、山之辺陽一は名前のとおり戸籍上も生物学的にも男性である。
 山之辺は佐伯と並んでカウンターのスツールに腰をかけていた。これは偶然である。本当にたまたま帰宅途中でばったり会って、たまたま夕飯を一緒にとることになっただけである。心の中でくどいほどに山之辺は仕事上の先輩である和久田に訴えていた。
 山之辺は佐伯に特別な感情を抱いているわけではない。たまたま2年前に仕事の関係で知り合ったというだけである。本来ならば彼女とはそれっきり会うこともないはずだったのだが、今でもたびたび顔を合わせている。その原因は和久田にある。彼は、たまたま出会った佐伯に、一目惚れしてしまった。本当に偶然に。彼女の何が和久田の琴線に触れたのかは本人以外に分からないのだが、以来、理由をつけて佐伯に会いに行く。あくまで仕事としてなので、必然的に山之辺も同行することになる。奥手なのかプライドなのか、たぶん後者だろう、和久田はいまだ気持ちを佐伯に伝えてはいない。どうにか告白する機会を伺っているうちに、佐伯に恋人ができてしまったのだ。しかも彼女のほうがべた惚れらしい。
 それが1年ほど前のこと。以来、和久田の想いは中空に投げ出された状態になっている。それは、陰ながら先輩を応援していた山之辺にとっても悲しいことだった。

「佐伯さん」
 山之辺が声をかける。彼女はグラスに付いてきたサクランボを口に入れたところだった。
「男だったら良かった、って思うことあります?」
 ガリッ、とちょっと嫌な音が響いた。佐伯が噛み砕いてしまった種を吐き出す。
「どういう意味かしらぁ?」
 いくぶん間延びした口調は彼女の機嫌があまりよくない証拠である。
「なつさんのことで。そういう時ってありません?」
 なつ、というのが佐伯の恋人の名前である。
「まだ、社会的に受け入れられていない部分も多いですし、同性愛は」
 内心冷や汗をかきながら問うてみる。佐伯はにらむように山之辺を見ている。
 居心地の悪い時間が流れ、ふいと佐伯が視線をはずす。
「そういうくくり方は気に入らないんだけど。わたしは”女”が好きなんじゃなくて、”なつ”が好きなの。たまたまあの子に同姓っていうカテゴリーがくっついてただけよ」
 新たなアルコールを注文しつつ佐伯は答える。バーテンが微妙な表情をしていたが、彼女はまったく気にしていない。
「でも、わたしは、わたしが女だからなつを愛しているとは言えるわね」
 佐伯を見た。彼女は笑っている。
「わたしが女として生きてきた年月に比例して積み重なった”わたし”を構成するものは、多分、男として生きていたら存在しなかったものなのよ。これはすべてにおいて言えること。”過去”がほんの少し変わっていたら、ここに至るすべての道が少しずつ変わって”今”にはたどり着かない」
 新しいグラスに口をつける。
「大体、異性愛がノーマルで同性愛がアブノーマルだっていうのはナンセンスだわね。人は人であるが故に、動物とは違う理性を手に入れたが故に、恋愛感情を手に入れたのよ。それは種の存続という本能の打算計算を捨てた感情じゃない。人間は理性を持っているからこそ自殺するし戦争するしセックスに快楽を感じるの。子孫を残すことを前提としない恋愛もね」
 彼女の声にさしたる熱は含まれてはいない。当然のように、淡々と言葉をつむぐ。
「だから、わたしは自分が女であることにも、なつを愛することにも、後悔も抵抗もないわ。たとえ、そのせいですべてを敵に回したとしても。そういうわけで、男だったら良かったな、とは思わないわね」
 最後に、彼女はにんまり笑ってこう言った。
「改名したいとは時々思うけど」

<了>

 

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