Angel Ash


 

望みし者の願いははかなく
ただ刹那に消えゆくうたかたの如し
なれど 我は望むことをやめず
我の生み出せし幾数万の願いのうちで 
ただひとつでも汝の元へ届かんと欲す
我に許されしは願うこと
故に届かぬ声で汝に告げよう

我らは天より堕ちし者
見捨てられた我らに救いはなく
されど 願うことは奪われず
我が願うは天に座する者にあらず
大地の鎖にその身を縛られ ただ無様にあがく 
されど愛しき我が片翼よ
我は汝に望みを託す

我は願おう この身が削れる程に
汝の先行きに幸あらんことを
たとえ 苦難の多き道行きであろうとも
汝とともに我は歩もう

 

「それは?」
「ん?」
 質問をしたのに疑問符で返された。
「詩のようだったが」
「ああ」
 ようやく相手にこちらの意図が伝わったようだ。
「わからないよ、わたしの言葉じゃないもの」
 しかし、笑顔で相手はそう言った。
 長い漆黒の髪にあどけない顔。目の前にいるのは少女だった。まだ女性的なふくらみに欠ける体つき、白のワンピースから伸びる剥き出しの手足は細い。華やかさには欠けるが、明るさはあった。
「いつかの未来に誰かが言う台詞だよ。明日か明後日か、百年後か千年後かに」
 少女は屈託なく笑う。ずいぶんと長い間見てきた表情だが、飽きることはなかった。
「台詞というよりは囁きのようだな」
 大して意味のない言葉を少女に向ける。
「そうだね」
また彼女は笑う。
なぜ彼女は笑えるのだろうか? 今の彼女の境遇が良いものとは思えなかった。しかし、夜の帳に包まれた中で、冴え冴えとした月光を浴びる姿に悲観の色はなかった。
「どこの誰かはわからないけれど、この囁く者はずいぶんと世界のことを分かっているね」
 彼女の肩やひざが月の光を反射し、白く輝いている。
 夜は死の領域だ。だが、彼女に儚さは微塵もない。いかなるときにも、死は彼女に触れることはできないかのようだ。
「この大地において、祈りが通じることはないもの。わたしたちは祈りを聞き届けるものには見放されているから。
まあ、こっちが反旗を翻したんだからしかたないけど」
 しかし、それは単なる夢想だ。そのことを目前の少女の姿が痛いほどに伝えてくる。彼女はすでに…
「レイ、わたしの話し聞いてる?」
 なぜ、あのときに彼女を止めることができなかったのだろう。なぜ、彼女の心の内を知ることができなかったのだろう。なぜ
「レイ」
 この世に生れ落ちたときからずっと、常に寄り添うようにしていたというのに。彼女はこちらの気持ちをよく知っているというのに。だが、すべては終わってしまったことだ。変えようのない事実だ。
 あの時、彼女は、イーウーは、死んでしまったのだから。
「えいっ」
 瞬間的に頬に鋭い痛み。我に返ると、イーウーがすねたようににらんでいた。
「わたしと話すのが嫌なら帰ってよ」
 どうやら彼女につねられたらしい。
「すまない、イーウー。考え事をしていた」
「何?レイは何を考えてたの?」
 イーウーはこちらの顔を覗き込む。
「君が堕天するのを止められなかっただろうか、と」
 この少女は聡いところがあるから、隠さずに話した。
「そんなこと考えてたんだ」
 イーウーはあきれているようだった。
 自分は彼女と同じものを見て聞いて触れてきたはずだった。ならば、自分の思考は彼女と似通っているのではないか? いや、唯一、彼女にしか分からないことがあった。

 『fortune word』

未来の言の葉を口の端に乗せる者よ。唐突に現れる不完全で不安定な力。その予言が彼女に堕天を決意させるきっかけとなったのだろうか?
「無理だよ。レイが何をしようと何も変わらなかったよ。だって、これは筋書きだもの。わたしたちは『運命』という名の劇を演じる役者に過ぎない」
 外見とは裏腹の達観した物言い。
「誰の筋書きだというんだ」
 イーウーは口角を吊り上げるようにして笑った。しかし、目は笑っていない。形だけの笑み。
「我らが父たる御方。いと高きに座する至高なる者」
 その答えはあまりにも当然で、あまりにも残酷。
「私たちが神と呼ぶ存在」
「馬鹿な。なんの意味があるというんだ」
 即座に返答した。悪い冗談にしか思えなかった。最も崇拝する者が、最も愛しい者を過酷な境遇に突き落とすとは。
「自分をたたえさせるために天使を造ったのに、反抗する者は必要ない」
 血の気が引いていくのが分かった。
 しかし、同じようにまじめな顔をしていたイーウーだったが、その顔が崩れた。たちまちのうちに破顔すると、転げるようにして笑い出した。呆気にとられてその様を見ていると、哄笑が呼吸困難の喘ぎ声に変わる。そして、目尻に涙をにじませたイーウーが身を起こした。
「冗談だよ、レイ。そんなに顔色が変わるほど信じてくれるなんて思わなかったから。ごめんね」
 無邪気な彼女に怒るつもりなど元からなかった。多少の疲れを感じはしたが。
「レイももう少し考えなきゃ。わたしの話には矛盾があったんだよ。もし、神が思い通りの運命を作れるのなら、どうして自分に都合の悪い意思をもつ者を生み出すだろう。この世に生きるすべてのものは、生まれ出でたその瞬間から自分で運命を刻むんだよ」
 そこまで言うと、イーウーは頤を上げて空を仰ぎ見た。白く細い首筋が月光にさらされる。
「祈りは届く、天においては。そこには祈りを聞き届ける神がいるから。けれど、地においては、祈りは届かない。そこには祈りを聞き届ける神はいない。この大地から天はあまりにも遠く、祈りの声は届かない。だから、大地に生きるものたちは願うことしかできない。願いのためにあがくことしか」
 はたして、その言葉は彼女のものだったのか、それとも未来の何者かのものなのか。
「君は何を願う?」
 翼を失い、二度と空を舞うことはできない。彼女もまたこの大地という世界に生きるものならば、何かを願うことがあるのだろうか。
 イーウーは静かに顔を下ろした。見たことのない作り物めいた無表情。それは一瞬だった。彼女の表情は常の笑み。
「そうだね。・・・わたしの願いはレイが幸せになることかな」
 その答えはわたしを素直に喜ばせた。彼女の願いはほぼ叶えられている。彼女と同じ時を生きること、それが自分にとって幸いであるから。ただひとつ、同じ場ではないことが心苦しいが。

 イーウーは、暗色の空を見上げ、去り行く者を見送っていた。彼が残した白い羽が足元に散らばっている。
 かんばせに笑みを刻みながらつぶやいた。
「ごめんね、レイ。君は優しくていい人だよね。それに引き換え、わたしはなんてひどいんだろう。レイに会ったその瞬間から、ずっと嘘をつき続けているんだから。でも、しかたがないよね。それがわたしの仕事なんだから。
 喜怒哀楽すべての感情、そこから生まれる善意害意すべての意思、それに伴う恋愛慈悲裏切憎悪すべての行動。それら全部を生み出し教えることがわたしの役目なのだから。
そのために、わたし元となる存在はずいぶん前からあったんだよ。そこから『イーウー』というひとつの形としてわたしが生まれたんだよ。生と死とそれに付随するすべての物事を知るために」
 目を閉じ、うつぶせに大地に身を横たえる。
「わたしは最初の『堕天使』。天と対になる『舞台』の管理者。死した後のわたしの体は灰となり天から降った。そして、天を支える大地を成した」
冷たき骸の地をなでる。
「未来において、天より堕ちる神の子たちよ。神への崇拝と反逆を魂に刻む者たちよ。
地上において祈りの意味はない。されど、お前たちは祈るだろう。そして、天に向かい呪いの言葉を吐くだろう。しかし、どちらも届くことはない。むなしく地面に落ちるのみ。なれど案ずるな。わたしが聞こう。お前たちのすべての感情、意思、行動、すべてを受け止めよう。お前たちはわたしの子供でもあるのだから。なぜなら、わたしもまた神だから。天に座する者と対を成す、決して知られぬ神であるのだから」
 仰向けに体勢を変えてまぶたを開ける。嫌味なぐらいに輝く月と目が合った。それは神のまなこ。昼と夜とに交互に開かれる瞳。そして、周囲を取り巻く星星は彼の者を取り巻く天使のもの。はたして彼らからはこの死より生まれた世界はどう映っているのだろうか。なにを思っているのだろうか。イーウーには決して見ることのできない光景。誰も自分自身をおのれの目で見ることはできないのだから。それが少しだけ残念なようにも思えた。
「空より降る天使の遺灰。それらを糧にわたしは新たな命を吹き込もう。来るべきいとし子たちよ、あなたたちのためにわたしは願おう。わたしもまた祈ることに意味はないから。わたしの祈りを聞く者は存在しないから」
 再び目を閉じて力を抜くと、すべての感覚が曖昧模糊する。
「あなたの願うすべてのものが、あなたにとって幸いならんことを」

〈了〉

 

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