『悪魔と少女のパヴァーヌ』



 ある日、一本の樹の上にひとりの悪魔がいた。悪魔とはいってもその姿は人間とさほど変わりがない。着ているものも同じで、簡素なズボンとシャツにベスト姿。どこにでもいるごく普通の青年である。
「アリスティド、なにを見ているの」
 不意に声をかけられてびくりと肩が揺れる。腰を下ろしている枝から落ちなかったのは幸いだ。声のしたほうへ頭をめぐらせると、はたしてそこにいたのは予想通りの相手だった。短い黒髪にいたずらっぽい光を宿す瞳、白い服から伸びるむき出しの手足。姿かたちは子どものようだが男女の区別がつかない。一段上の木に座りながらチェシャ猫のようないつもの笑みを浮かべている。
「エルザ」
 名前を呼ぶと、だからというわけではないだろうが体重を感じさせない動きでこちらの枝に下りてくる。
「なんだ子どもじゃない」
 エルザの言うとおり、さきほどまでアリスティドの視線が向いていた方向には三人の子どもがいた。

 

「コルク!」
 大きく手を振りながら満面の笑みで少年が走ってくる。
「久しぶりー」
 少年はコルケッティッシュのよく知る人物だった。名前はパーシー。祖父同士が友人だとかで、幼い頃から田舎の祖父の家を訪ねるたびに顔を合わせるようになっていた。あまり体の丈夫ではないコルケッティッシュを案じての祖父の配慮が裏にあったのだろう。数年前から寝たきりになった祖父の見舞い兼彼女の養生のためにここへ来るたびにパーシーのほうから訪ねてきた。部屋にこもりがちな彼女を引っ張り出す彼のささやかな強引さは嫌いではなかった。
 けれど、いつもはひとりで来るはずのパーシーの後ろに今日はもうひとり少女がいた。
「コルク、こっちは僕の従姉妹のラティーシャ。ラティーシャ、彼女がコルケッティッシュ」
 紹介されたラティーシャは金の巻毛の大人しそうな少女だった。
「はじめまして」
 と言うラティーシャの声は小さくか細くてよくよく耳を澄ましていないと聞きもらしてしまう。
「こちらこそ。言いづらいだろうからコルクと呼んで構わないわ」
 同じように軽くスカートをつまんで会釈する。パーシーは蜂蜜色の髪をきらきらさせて、ぎこちない小さな淑女の挨拶をどこか満足そうに見ている。彼としては自分の友人どうしが仲良くするのが単に楽しいだけなのだろう。
「よし。挨拶もすんだし森に行こう。コルク、きのうスグリの実がいっぱいの場所をラティーシャと見つけたんだよ」
 そう言ってパーシーはコルクの手を引く。その時にちらりと見た小さく眉根を寄せたラティーシャの視線がコルクはひどく気になった。

 

「それも人間の!」
 エルザは大きく眼を見開いて、さも驚いていますという仕草でアリスティドを振り返る。
 三人の子どもたちは自分たちを見ている者がいることなどつゆ知らず、森のほうへと消えていった。彼ら三人ともが簡単ながら仕立てのいい服を着ていたことからもそこそこ裕福な、おそらくは貴族の子息女なのだろう。事実、彼らのうちのひとりが出てきた屋敷はさりげなくも豪奢なつくりの屋敷だった。
 アリスティドはにやにやと笑うエルザから視線を外す。
「とくに、黒髪の女の子にご執心みたいだね」
 その時ばかりはアリスティドは相好を崩して枝から落ちそうになった。エルザが不思議なほどに聡いことは十分知ってはいたが、それでもこうも簡単に言い当てられるとは。
「あら図星?」
 おそらく自分は哀れなほどに滑稽な表情をさらしているに違いない、とアリスティドは妙な関心を持っていた。
「そ、そんなことは。あんな年端もいかない子どもを、それも人間の」
 無駄とは理解しつつも言い訳が口をつく。
「別にそんなの関係ないじゃない。そりゃあ、なんだか変に気にする連中もいるけどさ」
 小馬鹿にしたようにエルザが鼻を鳴らす。
「規則も禁忌もないのが君たちじゃあないの?目の前にいるのがその証拠じゃない」
 エルザは細い指で平らな自分の胸を指し示す。エルザは天使と悪魔の間に生まれたものだ。それゆえに、なにものにも属さず、すべてのものに通じる者でもある。
「なんだったら後押ししてあげるよ」
 そういうエルザの瞳には好奇心が満ち満ちていてまったく隠そうとはしていない。少なくともあまり信用のおける態度ではない。
「なにかこっちで用があるんじゃないのか。ローサの手伝いか?」
 相手がいつも一緒にいる人物の名前を出してみたが、
「どうして君たちって僕とローサをセットにしたがるのかな。あの人は僕の育ての親みたいなものってだけだよ。それに、僕は彼女の手伝いなんかしないよ。見てるだけだもん」
 エルザはすねたように唇を尖らせる。
「それより今は君のこと。いっつもこんなところで見てるだけなの?」
 関わることをやめる気はないようだ。しかたなしにアリスティドは口を開く。
「…一度だけ、話したことがある」

 

 少女がこの森に囲まれた屋敷に来るのは一年に数度のことだった。たまたま彼女の滞在中に近くを通りかかり、たまたまその姿が目に止まったのが始まりだった。それ以来、何度かこの屋敷の周りを訪れて、彼女と彼女の周囲の事情を知ったのだった。
 少女の名前はコルケッティッシュ。ずいぶんと独創的な響きであるが、祖父による名づけらしい。あまりに言いづらいのと長いのでたいていはコルクと愛称で呼ばれている。その名付け親の祖父がこの森の屋敷主であり、少々変わり者だとちょっとした有名人だった。コルクがこの屋敷を訪れるのは祖父に会うためというのと他に、彼女の静養のためのものである。とくにどこが悪いというわけではなく、他者より罹患しやすいというものらしい。そのために日の大半を屋内で過ごし、社交の場にも出ない孫娘を不憫に思ったのか、祖父は近くに住む友人の孫をたびたび屋敷に招いている。やがて、いつしか彼のほうからコルクを誘いに来るようになったのだ。
 そんなコルクとアリスティドが顔を合わせたのは一年ほど前のことである。その日は穏やかな天気で風がそよぐ気持ちのいいものだった。珍しく友人の少年パーシーが遊びに来ておらず、コルクはひとりで小さな高台のほうへと散歩に出た。手にはなにやら紙束を抱えており、ときおりしゃがみこんでは紙束を繰っている。そういった行為を繰り返しながら、開けた草原に出たとき、不意に突風が吹いて少女の黒い髪とスカートの裾を大きくはためかせる。コルクはとっさに頭に載せていた鍔広の帽子を押さえ、そのせいで緩んだ一方の手から紙束がばらばらと飛んでいく。
「あっ」
 小さな悲鳴をあげ、あわてて紙を拾うコルクの姿を見かねて、アリスティドは彼女の前に姿を現した。当然ながら突然現れた見知らぬ人物にコルクは驚いたようだったが、幸いにも悲鳴をあげたり逃げ出したりはしなかった。
 アリスティドは拾った紙を少女に渡すと、
「ここで待っていて、探してきてあげるから」
 そばの木陰にコルクを座らせてそういった。飛んでいった紙を捜しながら。あちこちに落ちた紙を拾ってみてようやくそれが植物のスケッチと名前や特徴が書かれた、いわば図鑑のようなものであることが分かった。戻ってみると、同じ場所にコルクが座っている。探している間、アリスティドはもしかしたら戻ってみたらコルクはいないんじゃないかと不安だったのだ。少し土がついてしまった植物図鑑を渡すと、彼女は丁寧に汚れを払い、枚数を数える。
「ありがとう全部あるわ」
 そしてほっと安心したような笑みを浮かべる、それがとてもうれしかった。
「植物図鑑?」
「ええ、おじいさまのお手製の」
「そうなんだ。ああそうだこれを」
 アリスティドはポケットから金細工の紙留めを出すと少女の小さな手のひらに乗せる。紙留めは幼い少女の目から見てもそこそこ高価なもので、とても平民にしか見えない青年が持っているにはふさわしいものではない。困ったように彼と紙留めとを交互に見る少女に、
「もう大切なものを失くさないように」
 小さく微笑みかける。
「ありがとう」
 コルクも笑みを返してくれた。
 その後、屋敷に戻る小さな彼女の背中が完全に見えなくなるまでアリスティドは見送った。

 

「それで、本当に話をしただけなんだ。名前も名乗ってない」
 アリスティドの語りを聞き終えたエルザはどこかあきれたような声を出す。
「いいじゃないか別に」
 彼にとっては大切な思い出なのだ。
「そんなこと言ってていいの?人間はあっという間に大人になって、あっという間に結婚しちゃうんだよ。ぼおっと眺めてるだけじゃ、あの子はすぐに他人のものになっちゃうよ。そしてあっという間に死んじゃうんだから。僕らと違ってね」
 確かに寿命がないに等しい悪魔にとって人間の一生はあまりに儚い。
「じゃあどうしろと?」
「かっさらっちゃえば」
「できるわけない!」
 あっさりと言うエルザに反射的に否定の言葉が出た。
「どうして。姿なんていくらでも変えられるんだから、人間としてあの子と生きればいいじゃない」
 エルザの言う手段は確かにある。それでもアリスティドは難しい顔をしたままだった。
「まさか、好きだから嘘をつきたくない、なんて考えてるの?」
 沈黙はなによりも雄弁な肯定の証。
「無茶だね」
「だから困ってる」
 はあ、エルザがため息を吐いていたが、ばさ、と背中の翼を広げる。
「まあいいや。好きにがんばってよ」
 ようやく興味の対象が外れたらしい。エルザはそのまま翼をはためかせて飛び去った。後に残ったのは鳥のものにしては大きめな数枚の漆黒の羽根だけだった。

 

 ふと、アリスティドは夜中に召喚する者の声を聞きつけた。
 悪魔の召喚は特定の者の名を呼ばない限りは気の向いた者が応えるようになっている。呼びかけを通して相手がどれほどの力を持っているのかを推し量り、それが求めるだけのものであればその悪魔が召喚に応じる。代価は広く言われている通り、召喚者の魂でまかなわれるわけではない。魂というよりは命を、相手の生のエネルギーを吸収するのだ。しかし、貪欲な悪魔を満たすだけの生命エネルギーを分けてしまうと大概の人間は死んでしまう。たとえ助かったとしても人間的な感情や思いを失ってしまう。そういった諸々のもので人の命は出来上がっているのだから。それを避けるためには自分以外のエネルギーをくれてやればいい。
 アリスティドはその呼ぶ声に聞き覚えがあった。妙な胸騒ぎを覚え、すぐさまその召喚に応じた。そして、悪魔を呼び出したのは予想通り、彼の知る人物だった。

 

「あ、あなたが悪魔」
 目の前の相手の声は震えている。蝋燭の灯りに照らされた顔は青白い。アリスティドがうずづくと、
「じゃあ、わたしの願いを叶えて!」
彼女は叫んだ。
「あの子を消して! コルクを消してしまって!」
 ラティーシャは金の巻き毛の先まで震わせて望みを叫んだ。

 

 アリスティドはコルクの祖父の屋敷が見える木の上に座り込んでいた。深夜のために屋敷はひっそりと静まり細い三日月が白い光を降らせている。
 彼は進退きわまっていた。さきほどのラティーシャの願いは到底アリスティドが叶えられるものではなかった。けれど、彼が跳ね除けても、また別の悪魔を呼び出して同じ依頼をするかもしれない。そうなっては止めることが難しくなる。そのために当座の手段として契約を結んだのである。幸いに履行期限はないから今すぐ、というわけではない。かといって寿命がくるまでは先延ばしにはできないだろう。下手をすればアリスティド自身の命が危うい。報酬として相手の命を貰うのだ、失敗もしくは不履行の時には同じ分だけ、つまりはアリスティドの命を払わねばならなくなる。彼が死んで、また別の悪魔と契約を結んだら。その時はコルクを守る術がまったくない。
 アリスティドが悩んでいると、枝に彼以外の重みが加わったことを感じた。顔を上げると、隣に真っ黒なローブを頭からすっぽりと着こんだ人物が立っていた。その顔は、細い切れ込みのような目と口が笑みをかたどった白いのっぺりとした仮面に覆われている。
「ローサ」
 仮面の人物の名前を意識せずに囁いていた。それが聞こえたものか、相手はその顔をこちらに向ける。
「あら、アリスティド。久しぶりね」
 仮面を通しているというのに相手の声はごく普通に聞こえる。それはまだ若い女性のものであった。ローサは仮面のあごの部分に手をかけると、器用に片手でそれを外す。ついでにローブのフードも下ろす。現れたのは二十歳前後の女の顔である。その瞳は紅く、伸ばした癖のある髪は深い緑。ともに人間にはない色彩である。さらに加えれば耳が大きくとがっている。
「どうしてここに」
 恐ろしいものであるかのように彼女を見上げ、アリスティドは思わずつぶやいていた。けれど、心のうちではそれが愚問であることは分かりきっている。彼女は死神だ。死者の魂を迎えに来ているのだ。
「もうすぐ迷える魂が現れるからよ」
 相手の心中を分かっているのかいないのか、笑みを浮かべて彼女は答える。
「わたしの仕事は正しい道を外れた魂をきちんと転生の道へと戻すこと」
「知っているのか…この先の運命を」
 アリスティドの口の中は緊張のためにからからに乾いている。
「さあ、知らないわ。よく勘違いされるけど、わたしたち神に運命というものは分からないわ。わたしたちは運命の外側にいる者だから」
 からん、とローサが左手に持つカンテラがゆれる。この死神は人間たちが思い描くように大鎌をもってはいない。あるのは蝋燭や油の灯りとは違う灯火を宿すカンテラだけ。あとはあの白い仮面だ。
 ローサは膝を折ると鼻先が触れ合うほどにアリスティドに顔を近づけた。
「つまり、運命なんてものはないのよ。未来は確定しているようでなにも決まっていない。でも、動かなければなにも始まらないし終わりもしないわ」
 呑まれたようにアリスティドはローサの緋色の瞳を見つめている。
「契約を履行なさい。これがわたしの最大の助言よ」
 そう言うと、ローサは身を離す。
「…契約を…」
 アリスティドは彼女の言葉を何度か反芻していたが、ふいにその身を翻した。

 

 目を覚ますと、きっちりと閉められていたはずのカーテンがいつの間にか開いている。白々とした月光が部屋にさしこみ、侵入者の存在を教えていた。
 異国のもののような不思議な衣服に身を包んだ青年。見た目は普通の人間ようでありながら、その背中には人ならざる蝙蝠のような翼が生えている。
 コルクはその異形の侵入者としばし見つめあったあと、口を開いた。
「お久しぶり」
 相手の目が大きく見開かれる。
「覚えていたの?」
「おじいさまの植物図鑑を拾ってくれたわ。それに紙留めも」
 小さくコルクは首を傾ける。
「あなたは、何者?」
「悪魔だよ」
 そう告げることでアリスティドは何かが崩れることを予想していた。けれど、
「そう、それで?」
なんでもないような顔で再び問われる。戸惑いながらも心のうちで何度も確かめた台詞を口にする。
「…契約に基づいて、あなたを消しに来た」
「…それは、わたしを殺すということ?」
 アリスティドは困ったような顔をする。
「厳密にはそうは言われていない。ただあなたの存在が目の届く範囲から無くなってしまえばいいんだろうね」
「それは死んでほしいということではなくて」
 頭の中で何度も繰り返したというのに、実際に次の言葉を口にしようとすると躊躇が生まれる。
「もしもあなたが望むのならば、ここではない別の世界へ、わたしの世界へ連れて行くことができる」
「悪魔の住む世界。地獄というところかしら」
「それは人間が勝手につけたイメージだ。実際はそんなに悪い場所ではないよ。ただ、こちらの世界に戻ってくることはできないかもしれないけれど」
 コルクは小さく首を傾け、黒い髪がさらりと胸へと滑り落ちる。
「どうしてそんな提案をするのかしら。あなにはなんの得にもならないように思えるけれど」
「あなたを死なせたくないから」
 彼女は小さく微笑んで、
「いいわ。連れて行って、あなたの世界へ」
 アリスティドはコルクの手をとると、恭しくその甲に口付けた。

 

 ローサとエルザは遠巻きに屋敷を眺めていた。そこはいつかふたりがアリスティドと話をした樹のある場所である。貴族の住居らしく壮麗で重厚な屋敷はしかし、今は陰りの雰囲気に包まれている。先ほどから黒衣をまとった人々が多く扉をくぐっていく。その表情はみな一様に沈痛なものである。
――孫娘が行方不明に。
――鍵は掛かっていたそうじゃないか。
――家出?
――そんなことをする子じゃないわ。それに、荷物はなにも無くなっていなかったし。
――まるで魔物か妖精にさらわれたようだって。
――めったなことを言うもんじゃないよ。
――可愛がっていたもの。生きがいだったのよコルケッティッシュの存在は。
 幾多の囁きが屋敷内の現状を伝えてくる。
「最愛の孫娘が姿を消して、その嘆きのあまり祖父の病状が悪化。ついには神の御許に。って、これってローサの責任もあるんじゃない?」
 エルザはそう言ってローサの顔を覗きこむ。責任、という言葉を用いてはいるものの、声にはまったく真剣味は感じられない。
「アリスティドにあの子の魂を迎えに来たように勘違いさせてさ」
「あら、それじゃ勝手に勘違いしたアリスティドの責任になるじゃない。わたしは無罪ね。それに、エルザ。彼が勘違いしてるって分かっていて忠告しなかったあなたは同罪じゃなくって?」

「僕にそんな義理はないもの。大体、進言したところで、結果はそう変わらないじゃない。せいぜいお祖父さんだけが死ぬか、孫娘も一緒に死ぬか、の違いでしょ」
 天魔の言葉に死神は紅い瞳を軽く見開いた。
「驚いたわ。ちゃんと分かってたの?」
「ローサって時々失礼だよね。僕がどれぐらいあなたの仕事を見てきたか知ってるでしょ」
 エルザがにらむが、ローサは口元に手を当てて笑うだけである。
「じゃぁ、天魔のエルザ、この礼儀知らずの死神に教えてちょうだい。あなたの予想したことを」
「そういうのが失礼なんだって」
 すねたようにエルザは唇を尖らせる。
「結局のところはさ、アリスティドが契約の履行をどうするかにかかってたわけだよね。もしも契約を素直に実行したとしても、お祖父さんは孫娘の死にショックを受けて心臓とまってたろうし。どっちにしろコルケッティッシュは人間の世界からいなくって、そのせいでお祖父さんが死ぬのは変わらない。ついでに言えば、コルケッティッシュは例え死んでも迷ったりしなかったろうけど」
「満点をあげてもいいぐらいだわ」
 ローサはぱちぱちと手を打ち、エルザはさらに唇を尖らせる。
「さてと、そろそろかしらね」
 いつの間にか、ローサの視線はエルザを離れ、屋敷のほうを向いている。そこでは、正面の扉が大きく開かれ、四人の担ぎ手のよって黒い布を掛けられた棺が運び出されるところだった。これから教会に運ばれるのだろう。その後ろに黒衣の大小の人の列が続く。その中で、ひときわ青白い顔をした幼い少女が見える。かたわらの少年が支えていなければ今にも崩れ落ちそうに歩いている。
「ラティーシャ」
 励ますように少年が少女の名を何度も呼びかけている。
「人を呪わば穴ふたつ。あの子はまさにそれを体験したわけだね。あの年頃に経験するには重たすぎる気もするけど」
「しかたのないことね。無邪気であることは罪ではないけれど、犯した罪に変わりはないのだから」
 素っ気ない口調でそう言うと、ローサはふところから仮面をとり出して顔を覆う。白いおうとつに乏しい仮面には切れ込みのような目と口。ローブのフードを立てると、腰に下げていたカンテラを手に持ち替える。魂の導き手たる死神の姿。
 死神と天魔が見守る葬列。その中心である棺の周りをふわりふわりと乳白色の光がただよっている。手のひらに乗る程度のその光は参列者には見えていないようで、気にするものは誰もいない。ローサは静かにカンテラを振るう。それに反応するかのように光の玉が棺からわずかに離れた。けれど、すぐに戻るようなそぶりを見せる。
「いらっしゃい。あなたの探している人はもうここにはいないわ」
 呼びかけが聞こえたものか、光は迷うように揺らめいている。
「ここに留まり続ければ先はないわ」
 ローサが振るうカンテラに合わせるように、ゆっくり、ゆっくり、光の玉は棺を離れる。時間をかけて光は死神のもとにやってくると、カンテラのなかに吸い込まれるようにおさまった。
「コルケッティッシュは生きているわ。いつかまた運命が交わることがあれば出会えるかも知れないわね」
 ガラス越しに、ぼんやりとした乳白色の魂と呼ばれる光を宿したカンテラに囁きかける。
「ああ、これでお仕事完了だね」
 エルザは大きく伸びをすると背中の黒翼を広げる。
「そういえば、コルケッティッシュにお祖父さんが亡くなったことは伝えるの?」
「そういうのはわたしの役目じゃないわ」
「ふーん。アリスティドに教えたらきっと必死で隠すんだろうな」
 にんまりとエルザは笑みを浮かべる。
「趣味の悪いちょっかいはやめなさい。他人の恋愛ごとに首を突っ込みすぎると馬に蹴られるわよ」
「なにそれ?」
「そういう格言があるのよ」
 仮面を外すと、ローサは身をひるがえす。ふたりの姿はかき消え、後には数枚の黒い羽根が残っているだけ。
 葬儀の列は遠ざかっている。

 

〈了〉

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