『距離』
梳いた髪はしっとりと、絹糸のすべらかさを残して指の間をすり抜けていく。
伏せられた睫毛は切なげに震え、濡れた紅い唇はわずかに開き甘やかな熱い吐息をこぼしている。
むき出しの肩に触れてやれば、途端におもしろいように鼓動が跳ね、特有の柔らかさをもった肌がうっすら桜色を帯びてくる。
てのひらが触れた部分はひどく熱を孕んでいる。
そのまま引き寄せ、抱きしめようとした瞬間、ぱちりと彼女の目が開いた。潤んだ瞳には悪戯っぽい光があって、そのまま彼女は唇を重ねてくる。けれど、すぐに音を立てて離れてしまう。
「おやすみ」
そう笑って言うと、彼女はベッドを降りて部屋を出てぱたんと扉を閉めた。
彼女の様子が変だ。
触れて、抱き合って、互いに睦言を囁き、体の内の熱で煽って、けれどそこまでで。彼女はするりとかわしてしまう。笑顔でなだめるような口づけをして離れてしまう。
それはその後も何度も続く。
これまでにはなかったことだ。
嫌われているわけではない。
それは確信をもって断言できる。自惚れがないとは言えないが。彼女の心が冷え切ってしまったのならそれと察することができるはず。それだけの時間を共に過ごしてきた。それだけ触れ合い確かめてきた。けれど・・・。
彼女の態度は変わらない。いつも通りの声、いつも通りの笑顔、いつも通りの仕草。
ただひとつ。閨で決定打を与えてくれないことを除いては。
抱きしめることも、口付けることも、肌に直接触れることも彼女は許してくれる。でもそこまでで、じゃれ合いのような愛撫を超える行為はやんわりと拒絶され、かわされる。
ついた火種は燃え上がるほどには熱くならない。起きた火種は穏やかなほどの温かさを与えるだけ。
彼女のぬくもりはいつもすぐ傍にあり、引き寄せれば容易くその身を胸にすり寄せてくる。ことさら冷たくなったわけでも、姿を消してしまうわけでもないのに、心が通じ合ってから受け入れられてきたことが許されないというのは何か妙に切ない。
「結局どうしてなんだ」
たまりかねて直接彼女に問うてみた。
公園で久しぶりの休日を過ごしている。
「何が?」
彼女はすっとぼけた答えを返す。
おもしろそうに笑っている。さくさくと芝生を踏む足取りが軽い。
「だから・・・」
言いよどむ。
「ああ、あのことね」
どうやら完全に遊ばれているようだ。
ぴたりと彼女は足を止め、さわさわと風が髪を揺らす。
「距離がね」
ついと空を見上げて彼女が言った。こちらは当然意味が分からなくて疑問符を浮かべる。
「近すぎて見えるものと見えないものがあって、遠すぎて見えるものと見えないものがあるのよね」
あご先に指を当てた思案顔。
「私はあなたが好きだから。とても大切だから。だから、お互いに一番気持ちのいい距離を割り出したいの。末永くお付き合いしたいしね」
気がついたら彼女の顔がすぐ目の前にあった。そのまま手を取られる。指先だけが絡み合う危ういもの。
それで、ふたりにとって最適の距離は?
「うーん、まだ模索中」
待とうじゃないかいつまでも。いつも傍に君がいるのなら、小さな苦痛は大きな悦びの予感になるだろう。
〈了〉
あとがき
友人からのリクエスト小説です。予定ではもう少しアダルティな内容になる予定だったのですが、勇気がありませんでした。すまぬなり。
にしても、なんなんでしょうねこのバカップル。こっ恥ずかしいですよまったく(書いたのはあなたです)。
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