『弾丸カタルシス』



 エミリアはひとり通りを歩いていた。十五、六歳ほどだろうか、つややかな長い黒髪が印象的である。
 彼女の表所はどこか思いつめた風で、視線は自分のつま先あたりをさまよっている。通行人たちはその姿にさして注意も向けずによけていく。けれど、大きな紙袋にてんこ盛りの荷物を抱えて歩く者にはそれは無理なことだった。紙袋は完全に持ち手の顔を隠してしまっている。互いの進路は見事なまでにかち合っていて、止める者はだれもなく、そのままふたりはぶつかった。
 普通に歩くよりもゆったりとしたペースだったのも幸いし、互いに倒れることはなかった。けれど、拍子で荷物を抱える腕がずれたのかぼとぼとと袋の口から中身がこぼれ落ちる。
「あー」
 甲高い悲鳴があがった。
 目の前を転がるグレープフルーツをエミリアはとっさに掴んで顔を上げると、同じように缶詰を拾い上げた少女と目が合った。少女の足元にはふくれた紙袋が置かれている。先ほどエミリアとぶつかったのはこの少女なのだろう。
「ごめんなさい」
 そう言ってエミリアが拾ったグレープフルーツを差し出すと、少女はそれを黙って受け取る。十三、四歳ぐらいの小さな女の子である。麦わら色の髪をふたつにくくり、瞳は大きな緑色。どことなく、子猫のようで可愛らしさと同時にしたたかそうな雰囲気が垣間見える。
 少女はエミリアを頭のてっぺんからつま先まで眺めてからじっと顔を見つめてくる。その視線に因縁を吹っかけようとか値踏みするような悪意めいたものは感じられない。かといって、見ず知らずの人間にこうもじろじろ見られるのはあまり気持ちのいいものではなかった。
「あの」
 エミリアが声をかけると同時に少女も声を発していた。
「あんた、なんか悩みでもあるの?」
 突然の問いかけはエミリアの心中を見抜いたようで、おおいに動揺してしまう。
「この通りを少し行くと右手に小さな横道があって、そこを行くと屋根に十字架が乗っかった建物があるから。そこに行けば話ぐらいは聞いてくれるよ」
 唖然とするエミリアに少女はどこか悪戯っぽく笑うと、
「ありがとね」
 グレープフルーツを掲げて去っていってしまう。
「あ、あの」
 訳も分からずエミリアは少女の背を見送るだけだった。

 

 エミリアが少女に教えられたとおりの道を行くと、確かに屋根に十字架が取り付けられた建物にたどり着いた。石造りの簡素なそれは、とても古びていて、ずいぶんと昔に建てられたということが分かる。恐る恐る扉を開くと、そこは天井の高い大きな広間のようになっていて、規則正しく長いすが並べられている。その奥は一段高くなっており祭壇とおぼしき造りになっていた。
 どことなくその空間にはおごそかな雰囲気が漂っているように感じる。
「ようこそ神の家へ」
 エミリアがきょろきょろと辺りを見回していると、そう声をかけられた。いつの間にか祭壇のそばに女性の姿がある。遠目で見ても彼女の背が高いことが分かった。
「あ、あの、わたしは」
 しどろもどろになるエミリアに、女性はゆっくりと近づくと微笑んだ。二十代半ばほどだろうか、白皙の面に青い瞳。頭巾の下からこぼれる金髪。左の泣きぼくろが整った造作を柔らかなものにしている。
「いかなる理由、いかなる人物であろうとも、教会は受け入れますよ。ここにいるのは神とその忠実なしもべだけ」
 そっとエミリアの手をとって語りかける彼女の声は心地のよいものだった。大きな手のひらに包み込まれた気分になりながら、エミリアはここまで来たいきさつを話し始めた。
 少女はほんの一年ほど前までは平凡ながらも幸せだった。いや、今を不幸と思うからこそかつてを幸せだと思えるのか。それでも、日々の小さな不満はあれど、満足していた。父と母がいるごく普通の家族と生活。けれど、慎ましやかな日常は崩れ去った。エミリアの父に新たな事業の共同展開を持ちかけたあの男のせいで…。
「チェレスティーノ・リヴ。あいつは父さんをだまして会社も家も、財産を根こそぎ奪っていった。そのうえ多額の借金まで。父さんも母さんもがんばってるけど、利子分ぐらいしか払うことはできなくて」
 硬く握ったこぶしは震え、エミリアの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「このままじゃ…わたしは、どうすれば…」
 一度流れ出した涙はようよう止まらず、この少女がうちにどれだけのものを溜め込んでいたのかを示していた。おそらくエミリアは沈みがちな家庭の中で両親を明るく励ます役回りなのだろう。けれど、今の状況では心の底から笑うことができず、両親に気取られないよう表層を取り繕うのにどれほどの労力を己に強いてきたことか。
 尼僧は嗚咽を上げる少女の背をさする。
「大丈夫、安心なさいませ。正しき行いをする者には常に希望が、悪しき行いをする者には必ず報いがあるでしょう。決してあきらめてはいけませんよ」
 いとおしむようにエミリアを抱きしめ、優しくささやきかける。

 

 カテリナは静かに祭壇に向き合っていた。その視線の先には十字架にかけられた救いの御子の像。茨の冠をいただき、手足に釘打たれやりに指されたその姿は痛々しい。彼のその姿は人の罪の表われ。神により地上へと下された御子は人々に愛を説き、彼らの罪をその血でもってあがなった。
 人が神を信じなくなってからずいぶんと時が経っていた。あの大変異≠フ刻から。世界はあの時から変ってしまった。かつて人は地上から遥かな高み、星の海へと旅立ち、そこから見える世界はどんな宝玉にも勝り青く美しかったという。けれど、いまや大地は赤く荒れ果て、人は大地にしがみつくように生き、いつしか空を見上げることすら忘れてしまったようだ。他者を蹴落とすように、強い者が傲然と弱い者を虐げる。弱肉強食が自然の理といえど、人はそれを越える情をもっていたはずなのに。
 あの不幸な少女はカテリナの腕の中でひとしきり泣いてから諭されてて家へ帰っていった。嘆く少女の姿を思い起こしながらカテリナは胸元をまさぐり、ロザリオをきつく握り締める。
「汝殺すなかれ、奪うなかれ。汝の敵を愛せよ」
 目を閉じ、厳かに聖句を唱えていたが、そこで言葉を留めた。瞳を開け、伏せていた顔を上げると口の端に笑みを刻む。
「天にまします我らが父よ、どうやらあなたの娘は反抗期のようです」  カテリナはロザリオを手放し、きびすを返し、修道衣の裾をはためかせて教会を後にした。

 

 シェスタが買い物から帰ると、相変わらず同居人の伯父は机に張り付いたままだった。
「まだ詰まってるの?」
 どさりと紙袋に満載の荷物をダイニングテーブルに載せると、あきれたように声をかける。三十歳間近の伯父のルーカは売れない小説家である。締め切りはとうに過ぎているというのに、なかなか書き出せないでいるらしい。シェスタが出かける前からタイプライターをにらんで唸っていた。
「ああ、シュスタか。おかえり」
 ぐたりと背もたれに体を預けたままルーカが少女へ顔を向ける。癖のあるこげ茶の髪と下がり気味のまなじりは気だるげで、グレープフルーツを片手に彼を見ているシュスタとはあまり似ていない。
「ん、どうしたんだ、それ?」
 ルーカの視線はシェスタの手元と彼女の傍らのテーブルに向けられている。トマトは部分的に黒ずみ、ジャガイモはひび割れ、缶詰はへこんでいる。
「これは、ちょっとね」
 同じように傷ついたグレープフルーツを弄びながらシェスタは事情を説明した。買い物の帰り道、とある少女とぶつかった話を。
「それでね、その人あんまり暗い顔してるから、教会を紹介してあげたの。なんかいろいろ溜め込んでたみたいだから誰かに話しちゃえば少しは軽くなると思うんだけどね。宗教家なんてそれを聴くのが仕事なんだから、一挙両得ってやつだね」
「ちょっとそれは違う気がするけどな。
それでカテリナか」
 ルーカがずるずるとテーブルに着く間、シェスタは食材を貯蔵箱に押し込んで、コーヒーとホットチョコレートを作っている。
「そ、女の子には優しいからね、あいつは」
 そう言って、ホットチョコレートのカップをルーカに押しやる。
「優しすぎるぐらいにな」
 とんとん
 不意に玄関の扉が叩かれる。シェスタがドアを開けると、そこに立っていたのはずいぶんとのっぽのシスターだった。
「お、噂をすれば影≠セな。よう、カテリナ」
「お久しぶりです、ルーカ、シェスタ」
 気楽なルーカの挨拶にカテリナはいつも通りの微笑を浮かべる。
「そうだカテリナ、今日の女の子ちゃんとどうにかしてくれた」
 シェスタに差し出されたコーヒーを受け取りながらカテリナは首肯する。
「ええ、実はそのことについてお願いがあって来たんです」
「お願いって言われても大したことはできないぞ」
「分かってますよ。売れない恋愛小説家と十二歳の女の子に求めるものなんてひとつしかないじゃないですか」
 意味ありげなカテリナの言葉にルーカはにんまりと笑みを返す。十年来とまではいかないが、それなりに長い付き合いである。相手が何を言いたかなんとなく分かる。
「暇だし構わないぜ」
「恩に着ます」
「ちょっと待ったっ」
 がっちり手を組むルーカとカテリナを制止したのは当然のごとくシェスタである。
「伯父貴はちっとも暇じゃないでしょうが。それに、お金にならない仕事を引き受けられるほど余裕は無いんだから」
 シェスタの記憶している限り、カテリナが持ち込んだ頼みで得になるものなどひとつも無かった。
「お言葉ですけどシェスタ、あのお嬢さんがわたしのところに来るよう仕向けたのはあなたですよ。それに、乙女の涙に値段はつけられません」
 にっこりとほほ笑むカテリナにはなぜかしら不可思議な説得力がある。それに、その言葉にも一理ある。
「ああもう、分かったわよ。手伝うよ。でも、この借りはちゃんと返してもらうからね!」

 

 深夜。街の明かりがほとんど消えた頃。
 どんっ
ある建物の中でそんな音がした。打撃音のような破裂音のような。腹の底に響くようなそれは、同時に建物とその周辺に振動を起こす。深夜は無人のオフィス街であるこのあたりでは、その音にも揺れにも騒ぎ立てる住人はいない。ただひとつ、音源であるその建物をのぞいて。 三階建てのリヴ・カンパニーの社屋は深夜にもかかわらず大きな騒ぎになっていた。
「何が起きてるっ!」
 駐在の警備員というにはガラの悪すぎる男達が怒号をあげて走り回っていた。この建物は会社の要であり、書類など重要なものが集められている。そしてそれらを案じる、社長であるチェレスティーノ・リヴの自宅代わりでも。
「一階に侵入者です! 応援を!」
 そのひと言で、社長室兼寝室を警護するSPをのぞく警備員のほとんどが一階フロアへと集結した。そこで彼らが目にしたのは、白目をむいて気絶している一階担当の警備員達と、その傍らに立っているひとりの背の高い人物だった。白と黒の修道衣、胸にはロザリオ、頭巾からは金髪がこぼれ、その下の白い顔は柔らかな微笑をたたえている。
「夜分遅くに申し訳ありません」
「何用だ、姉ちゃん」
 どすの利いた問いかけにもその笑みが崩れることはない。殺気立つ男達に囲まれながらも、侵入者――カテリナには動じるところがない。
「そうですね、足止め係≠ニいったところでしょうか」
 とぼけた回答に男達の手が懐に伸びる。けれど彼らの指先ショルダーハーネスに納められた銃のグリップに触れるよりも早く、カテリナの修道衣の裾がひるがえる。そして、
「ところで、わたしは生物学上姉ちゃんには分類されませんのであしからず」
 カテリナの手にはガトリング砲が現われていた。そうそう普通の人間が取り回すことが難しいその火器を、カテリナはやすやすと肩付けに構えて見せる。懐に手を突っ込んだまま男達は固まっている。ここのまま銃を引き抜いたとしても相手がトリガーを引くほうが早いだろう。そうなれば、一分とかからず全員蜂の巣にされるのは目に見えていた。
「お祈りは済みましたか」
 にっこりとほほ笑んで、カテリナは最後通告をした。

 

「いち、に、さん、しのご、か」
暗視機能ついたのスコープを覗きながら、そんな言葉をつぶやいている人物がいた。癖のあるこげ茶色の長髪はうなじでまとめられ、まなじりの下がった瞳。ルーカである。彼は今、とある建物の屋上にいた。隣の建物よりも若干低いその場所で、腹ばいになりながらライフルを構えているのだ。
「何人残るかな」
 どこか気楽な口調だが、スコープを見る目は真剣である。ルーカが見ているのはリヴ・カンパニーの社長室の扉前である。社長室に面した廊下の小さな明り取りの窓からは、入り口をがっちりとガタイのいい男達が固めているのが見えた。息をひとつ吐いて、ルーカは顔を上げる。同じ方向を向いていながら彼の目には先ほどの社長室は見えていない。単に周りが夜闇に覆われているからというだけではなく、昼間であってもこの位置からは見ることはできない。それほど遠い場所にいるというだけなのだが。その分この距離からならば、射撃音が弾が当たるよりも遅く届くというメリットがある。
 再び定位置についてスコープを覗く。おそらくもうすぐのはずだ。と、不意にスコープ越しにSPたちの動き変化が起きる。ここからでは一階部分で何が起きているのは分からない。けれど、うまくやっていることだろう、あいつならば。社長室の前のSPたちは緊張の面持ちだが、結局五人中ひとりも扉の前を離れなかった。
 にんまり笑うと、唇をなめてトリガーを引いた。リロード、ドロウを連続五回よどみなく行った。

 

 一階で騒ぎが起こっている間に、建物に忍び込む。そのまま三階まで進むと、目的の扉の前には五人の屈強な男達が倒れ伏していた。それらをまたいで、くすねておいた鍵で扉を開ける。そのまま壁伝いに窓まで進むと、勢いよくカーテンを開けた。青白い月の光が部屋中に差し込み、ずいぶんと明るくなった。突然の光に反応したのか、隅のベッドから部屋の主人が目を覚まして半身を起こしている。
「今晩は、チェレスティーノ・リヴ」
 挨拶を投げかける、この深夜の訪問者に家主はずいぶんと驚いているようだ。それが単なる侵入者に対してなのか、侵入者がほんの十二歳の女の子だったせいなのか。ふたつにくくった麦色の髪に緑色の瞳。猫のような雰囲気の少女、シェスタ。
「なんだお前は、殺し屋か」
 ようやく驚愕から立ち直ったのか、チェレスティーノは侵入者に問いかける。
「殺し屋? そんな無粋な連中じゃないよ」
 ちっちっちっ、とシェスタは芝居がかった仕草で指を振る。その手が腰の下りた次の瞬間には、魔法のように二丁の拳銃が握られていた。銃口はぴたりと、チェレスティーノにポイントされている。口径のさほど大きくない、小ぶりなリボルバー拳銃。少女の手にはちょうどいいようだが、その分殺傷力は極端に落ちる。人を殺すのには向かない銃だ。
「わたしたちは壊し屋≠セよ」
 せりふと同時にトリガーが引かれる。けれど、その前に、銃口は明後日の方向に向けられていた。撃鉄が落ちてマズルフラッシュが焚かれ弾丸が発射される。弾はそのまま社長机の脇に置かれた金庫に命中した。そして、着弾と同時に凄まじい轟音が鳴り響く。丁度、すぐ脇で爆弾が破裂したらこんな感じかもしれない。金庫があった辺りはごっそりとまとめてめちゃくちゃに崩れていた。原型を留めているものはほとんどない。床は消失して天井もなくなっていた。
 シェスタが耳栓を引き抜き、ベッドを見やると、チェレスティーノ・リヴはひくひくと痙攣している。
「浄化の弾丸、打ち込ませていただきました。
へっへー、どうよ。わたしの特製弾丸。ちっちゃいからってなめないでね♪」
 ぱちり、とウインクするとシェスタは半壊の社長室を後にした。

 

「シスター!」
 翌日、裏通りの古びた教会に少女が絶叫しながら駆け込んできた。綺麗な黒髪が乱れるのもお構いなしに、片手に新聞紙を握り締めて、のっぽのシスターに駆け寄る。
「あらあら、エミリアさん今日は」
 そんな少女を穏やかな笑顔でカテリナは迎え入れる。
「見てください、これ!」
 エミリアはしわになった新聞を突き出す。それは今朝の朝刊で、一面トップでリヴ・カンパニーに崩壊事件が掲載されていた。一夜のうちに社屋は瓦礫の山となり、金庫に保管されていた全財産ともいえる権利書や借用書等の書類も塵となった。不思議なことに、社長のチェレスティーノ・リヴをはじめとする当直の警備員達はそのそばでロープでぐるぐる巻きに縛られていたのが発見されている。全員が軽傷でもちろん命に別状はない。
「あの、チェレスティーノ・リヴですよ。あいつの会社が文字通り潰れちゃったんです」
「天罰でしょうかね」
「そうなんでしょうか。とにかくなんだかビックリしちゃって。でも、なんだかすっきりしました」
 エミリアは明るく笑うと、仕事があるといって帰っていった。
「ようやく見れました、あの子の笑顔」
 少女を見送ったカテリナは満足そうにほほ笑む。
「なかなかいい子じゃないか。五年後に期待、ってところか」
 置いていかれたくしゃくしゃの新聞を見ながらルーカがつぶやく。はじめからいたのだが、エミリアの視界には入っていなかったようだ。それほど興奮していたということか。
「あれなら大丈夫そうだな」
「そうですね」
 ホットチョコレートを片手に三面記事に目を通すルーカにカテリナは同意した。

<了>

 

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