『魔女の考察』



 愛刀を腰にアーネスト・バーロットが3ヶ月経ってようやく馴れた兵舎に戻る途中、向かいの廊下を歩いてくる人影に気がついた。
 自分と同じ10代後半ほどの若草色の外套をひるがえすその姿は見知ったもので、かといって声をかける気にもならず。ただぼんやりと見送っていた。
 不意に、相手はぴたりと足を止め、アーネストを振り返る。
 やや吊り上り気味の碧色の眼。ふわりと毛足の細い黒髪が浮き上がる。
 予想外に目が合ったことに戸惑い、とりあえず、アーネストは軽く片手を挙げてみた。相手もそれに答えるように手に持った樫の杖を掲げる。たったそれだけで相手はくるりと体の向きを変えふたたび歩き出していた。
 珍しいものを見たと思っていると、騒々しい足音が聞こえる。先の人物がやってきた廊下を同じように、けれど走りながら来る者がいる。
「あ、アーネスト」
 ぴたりとその人物は足を止め、まるで10年来の友人に会ったかのように声をかけてきた。少々長め黒髪と、笑みの形に細まっている琥珀色の瞳。
「久しぶり。そういえば聞いたよ、拝名の儀があったって。バーロットだっけ、恰好いいよね。騎士かぁ」
 なにがそんなに楽しいのか、この人物――ゼノクラットは始終笑みを絶やすことはない。いまだ数えるほどしか会っていないアーネストにすらこの調子なのだ。
 そういえば、ゼノクラットはなぜ廊下を疾走していたのだろうか。まさかアーネストと話をするためではあるまい。
「そうそう、マディ見なかった?」
 知らないはずがなかった。ほんの数分前、アーネストの目の前を横切って行ったのだから。
「さっき、寮のほうへ向かっていったが」
 アーネストの答えに、そう、とだけ言って追いかける気配はない。ゼノクラットはじっと彼を見つめてからこんなことを言い出した。
「君は、マドリーヌ・ザムザをどう思う?」
 なぜ普段は本人が嫌がる愛称で呼ぶというのに、わざわざ彼女の本名、それもフルネームを言うのだろう。それに先ほどと違って冴え冴えとした黒い瞳。
「彼女の噂はけっこう聞いているよね。怖くはない?」
 マドリーヌ・ザムザ。
猫のようなやや吊り上り気味の碧色の瞳。毛足の細い黒い髪。若草色の外套。18歳という年頃の少女であるにもかかわらず、ほとんど飾り気はないといっても過言ではない。伸ばした髪も無造作にうなじで括っているだけなのだ。
現在、王立の魔法大学に籍を置いている。ゼノクラットとは同期生である。けれど、彼女は卒業したとしても決して魔法士にはならないだろう。マドリーヌには生まれながらにひとつの道が用意されている。呪術師としての道が。
 元来ザムザ家は呪術師の家系である。その36代目の当主である彼女がなぜわざわざ王都に魔法学を学びに来ているのか知る者はほとんどいない。王都にやってきて約半年、あまり人付き合いが好きな性質ではないのか友人と呼べるような相手はいない。なぜだかゼノクラットはことあるごとにマドリーヌにちょっかいをかけている。マドリーヌとしてはあまり歓迎している風ではない。不遜なほどに自尊心が強く、彼女が他人に対して下手に出ることは決してないと言える。
「どういう意味だ?」
 アーネストは自分の脳内にあるマドリーヌ・ザムザに関する記憶を掘り起こしてみてもゼノクラットの問いの意図がよく読めない。
「そのままだよ。これは単なる質問。
マディは畏れられている。どうしてか?
答えは簡単。分からないから」
 先ほどの瞳の冴えはどこへやら。普段どおりのおどけた口調になっている。マドリーヌの呼び方もマディと愛称に。もっともこの名前で彼女に呼びかけたりしたなら睨み付けられるか悪ければ樫の杖で殴られる。それでなお繰り返すのはこの妙に陽気な男だけである。
「呪術がなんだか分からない。彼女がなにを考えているか分からない。未知だからこそ怖ろしい」
 くるくると指先を回し、歌うようにゼノクラットはしゃべり続け、
「でも、おかしいとは思わないかいアーネスト」
 その人差し指をぴたりとアーネストの鼻先に突きつける。決して大柄とはいえないけれど平均並みのゼノクラットより少し背が高いアーネストは、指先に気圧されたように頭を少し反らした。
「マディのことが分からないとは言うけれど、果たしてそれは彼女のことだけに言えるんだろうか。僕らは毎日無警戒に接している人々のことをいったいどれだけ知っているだろう。それ以前に、自分自身のことすらまともに知っていることはほとんどないんだ。
未知なる物が恐怖になるというのなら、ザムザの魔女だけが対象じゃないはずだろう。
それじゃぁ、あんまりにも不公平じゃないか。そうは思わない?」
 ザムザの魔女、畏怖の念をこめてしばしばマドリーヌはそう呼ばれる。
 ゼノクラットの口調は決して荒いものではなかった。彼自身が言ったとおり目的は本当に単なる質問なのだろう。
「そういうあんたはどうなんだ。ザムザを恐れているようには見えないが」
 学生に講義する教授のようなゼノクラットの長口上にいささかあきれて、その仕返しの意味も込めてアーネストは逆に尋ねた。
 ゼノクラットは一瞬虚をつかれたような表情をして、アーネストの鼻先に突きつけていた指を引き戻すと軽く自分のあご先に触れさせる。
「うん、僕はマディのことは怖くないね」
 あっさりとそう言って何やら得心したように1,2回うなづく。
「怖くはないけど興味はある。マディは分からないことだらけだからね」
 のほほんと笑って、
「呪術ってなんなのか。それを代々伝えるザムザ家ってなんなのか。その当主ってなんなのか。そして、マドリーヌってなんなのか。
まだひとつもちゃんと理解できなくて、そこにいたる道のりを考えると途方もなく楽しいんだよね。たぶん一生かけても解き終わらない謎だとは思うけど、その分退屈せずにすむってすごいことじゃない?」
「それは、ザムザはあんたにとって暇つぶしの対象ってことか」
 アーネストの一言に、ゼノクラットは大きく目を見開いてぶんぶん首を横に振るう。
「そうじゃないよ。確かにちょっと言葉が足りなかったかもしれないけど。でも考えても見てよ、人生なんて生きているだけならひどく退屈なものなんだよ。それを改善するために人は色々なものを自分に課すんだ。それは悲劇であり喜劇であり、まさにドラマなんだよ。そして、それこそが人生の意義って物になるのさ。
つまり、僕にとっては未知なることへの探求が人生の意義なんだよ。そのなかにマディも、僕の周囲の人々も、もちろん僕自身も入ってる。人間だけじゃあないけどね。
結局のところ僕が言いたいのは、『未知』って物は興味こそ惹かれるけれど畏れの対象にはならないってこと。なのになんでみんなは怖がるのかな?
うう、なんだかよく分からなくなってきた」
 再びくるくると回される指先はゼノクラットの混乱を示しているのだろう。彼自身、自分の気持ちを明確に言葉にするのは難しいようだ。
「それは、やっぱり分からないからだろう」
 アーネストの答えに、でも、と口を開きかけるゼノクラットを制して先を続ける。
「自分に理解できない部分に、それが自分に危害を加えるかもしれないという可能性に対する危機感があるからなんじゃないか」
 それは本能に順ずる自然な反応で、戦いに身を置くアーネストにとっても己の身を護るために常に意識しなければならない事柄だった。かといって、むやみやたらに畏れるものではないが。
「あ、なるほど」
 ゼノクラットは簡単に納得し、
「じゃぁ、最初の質問に戻るよ。アーネストはなんでマディが怖くないの?」
 またしてもその問いを投げかけられ、アーネストは改めて自分がマドリーヌ・ザムザに対しどのような思いを抱いているのかを考えた。
「危機感がないからだな。魔法とか呪術とかそういうことは俺には分からんしザムザ自身のこともさっぱり知らん。
が、なにかしら力を持っていることは分かる。けれど、頭の悪い連中のようにそれを意味なく周りに向けることしない。あいつは力の使い方をちゃんと心得ている。
敵対関係にならなければ畏れることはないと思っている。
これで答えになっているか?」
 一応の搾り出した自分なりの考えをゼノクラットに告げる。
「うん、ありがとう」
 ゼノクラットは満足そうな笑みを浮かべる。そして、しばしアーネストの緑色の瞳を見つめていたかと思うと、
「君とはいい友達になれそうだよ」
 そう言うと、軽く手を振って寮のほうへと去っていく。その姿に、少し前に同じように去っていった少女の姿を思い出していた。
彼女が体を返すそのせつなに見せた小さな微笑。苦笑でも皮肉げでもないそれは、それまで聞かされていた彼女のイメージをさっぱりと払拭するものだった。思えば、その瞬間に彼女に対するいわれなき畏れは消え去ったのだ。
未知なる少女と、未知を探求する少年と、そして未知を畏れぬアーネストの、これが未知なる長い付き合いの始まりだった。

 

<了>

 


●いいわけめいたあとがき●
 参加している同盟の参加者さんによるお祭り企画に乗じて書いたもの。
 お題の内容は『未知』なんだけど、微妙な内容に。
 未知に対する応じ方の違いについて書いてみたかった代物。
 う〜ん、アーネスト視点なのになんだか影が薄い・・・。
 まぁ、ゼノクラットとマドリーヌのキャラが濃すぎるせいかもしれない;。
 でも、一応『アーネストとゼノクラットから見たマドリーヌ』の話だからこれでいいのか。

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