『お茶の時間』


 

 今日、久しぶりに彼女に会った。
 くせのある栗色の髪、大きな黒い瞳、薄めの桜色の唇、ほっそりとした白い指。
 どれも4年前とまったく変わっていなかった。特に、彼女の微笑みは一瞬過去に舞い戻ったかのようで、くらりと目眩に似た感覚を覚える。
 やわらかな、幸せそうなあの笑みを。
 あんなふうに笑える彼女はどれほど幸せなのだろう。そう思うと思わずこちらの口元もほころんでしまう。
 彼女にしてみればその笑みに深い意図などなかったはずだ。ただ、だからこそあの表情は彼女の心を如実に示していたのだろう。
 彼女の笑う姿を見ているだけで心地よい気分になれた。
 けれど、もし、あの柔らかな眼差しを特別に向けられる存在になることができたなら。
 それは、それは、とても、素晴らしいこと。
 まぎれもなく、彼女に恋をしていた。
 もっとも、求めていながら彼女に告げる勇気はなかった。結局、彼女が選んだのは別の相手だった。それでも、彼女のやわらかな笑みを見れば、祝福こそすれ恨んだりする気持ちはなかった。
 しばらくして、彼女は選んだ相手と結婚した。その時の彼女は涙が出るほど綺麗だった。
 それからずいぶんとたって聞いた彼女の現状はお世辞にもあまり幸福とはいえないもので、だから偶然にも彼女と再会して変わらずあの笑みを浮かべていることに少なからず驚いた。
 本当にそれは突然の出来事だったという。
 昼下がり、彼女が伴侶とともに道を渡っているときのことだった。その日はとても天気がよかった。横断中に彼女の靴紐が解けた。結び直している間に彼女と彼の間に3メートルの差ができた。彼女が立ち上がってみたものは、信号無視の車に撥ね飛ばされる伴侶の姿だった。アスファルトが赤く赤く染まっていく。
 伴侶は命は取り留めたものの、二度と目覚める見込みはないという。
 たった3メートルの距離が、彼女と彼女の愛するものとを大きく切り離してしまった。
 それ以来、彼女は一日の大半を眠る伴侶の傍らで過ごしている。
 辛くはないのか。思わずそう尋ねてしまった。
「いいえ」
 彼女はほほ笑みながら首を振るう。
「わたしは今でも幸せです」
 信じられなかった。もうまともに反応すらしない者のそばにいることは苦痛と虚無があるだけではないのか。
「あの人の隣でお茶を飲めることがとてもうれしいんです」
 買い物袋の中のお茶の葉を見せてくれながらそういった。
「あのひとと同じ空気のなかで、あの人と同じ時のなかにいる。それだけでわたしは幸せなんです」
 柔らかな笑みを残して去って行く彼女の後姿は4年前とまったく変っていなかった。そして手の中には彼女に貰ったお茶の葉のパックがひとつ。そっと鼻を近づけてみる。彼女の笑みと同じ幸せの香りがするだろうか。

 

<了>

 

 

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