●大神小説3●母語り


母語り


「ウシワカ! ウシワカ!」
女の童の声が自分の名を呼ぶ。同時にぱたぱたという小さくて軽い足音。そのふたつはまっすぐにこちらへと向かってくる。
その正体を知っているウシワカは、小さな笑みを口の端に浮かべて少し腰を落とす。予想通り待つことはなく、すぐさま
「ウシワカ!」
ひときわ大きい歓声とともに、ぽん、と腰に衝撃。いきおいよく何かが飛び付いてきたのだ。ウシワカはそれを優しく受け止め、腕を伸ばして抱き上げる。
「ハロー、ヒミコ。元気そうだね」
ウシワカの腕の中にいるのは、あどけない童女である。けれど、艶やかな黒髪や、すべらかな額、そして英知の輝きを秘める双眸。それらが童の将来の有望さを示している。しかし、それも当然のことかもしれない。なぜならこの女の童こそが次代の西安京の女王になるのだから。
ウシワカは、西安京の代々の王につかえる陰特隊の隊長である。次の主との信頼を築くためとして、ウシワカはしばしばヒミコのもとを訪れる。その時にはいつも他愛のない話をしたり、ヒミコの遊びにつきあったりする。  次期女王として接する者が多い中、ウシワカだけはヒミコをたんなる子どもとしてあつかってくれる。それがうれしく、ヒミコはウシワカによくなついた。 「ウシワカ、母神さまのお話をしておくれ」  ヒミコはウシワカにしがみつきながらねだる。 「オーケー」 ウシワカは腰をおろすと、膝の上にヒミコをのせる。その頭を撫でながら、語り始める。 空のずっと高いところに、タカマガハラという浮島がありました。その浮島にはたくさんの神さまが住んでいました。  その神さま達のなかでもっとも大きな力をもって、もっとも慕われていたのが母神さまです。母神さまは日の神さま。母神さまがいなければ、この世は夜闇よりも深い黒色の世界になってしまうのです。 大きな力をもっていても、母神さまは恐ろしい神さまではありません。いつもふうわりと心地がよい御顔でこの世の全てをみそなわしているのです。のんびりとお昼寝をなさるのもお好きな、のんきなところもございます。
いけないことをしたならば母神さまはお怒りになります。それはもちろんお母さまですから。でもそのあとは、また元のとおりに優しく抱きとめてくださいます。
母神さまを思う心あればいつでも温かく見守ってくださるのです。

語り終えてウシワカはヒミコの様子が常と違うことを感じていた。視線が下に落とされ、瞳が濡れている。ひどく悲しげで淋しげで。その顔をのぞきこんでどうしたの? と問いかける。
「ウシワカ、母神さまはずっと昔に死んでしまったというのは、本当でおじゃるか?」
おそらく側使えの誰かからでも聞きおよんだのだろう。そうして疑問を投げ掛けてくる姿は、女の童が大人へとなりつつある証。ウシワカの物語を素直に信じてくれなくなったのは少し寂しかった。
「ヒミコ」
ウシワカはヒミコを抱いて立ち上がる。かかる重みに幼子の成長を改めて思う。
「見てごらん」
指さし示すその先には、太陽が白い温もりを放って浮かんでいる。
「母神さまのお力は今もああしてあるんだよ。死んでしまったわけではないんだ。長い眠りについているんだよ」
 そう言ってもヒミコの顔は晴れない。しかたがないな。そうつぶやいて悪戯っぽく笑う。
「ヒミコがそんな風に曇り顔をしていたら母神さまも悲しくなるんだよ。母神さまはあまねく天地を照らす御方。誰かの幸せが母神さまの幸せなんだから」
 だから笑っておいで。
「ヒミコやみんなが笑っていてくれれば、母神さまはいなくなったりしないよ」
 ウシワカの言葉にヒミコは笑みを浮かべる。
「妾は笑ったでおじゃる。母神さまもお笑いになっておるでおじゃるかの」
 もちろんだとも。答えるウシワカの目も細まる。たとえ御身が石像の内でまどろんでいようとも、空の光を通じて小さくとも煌めく笑みを感じていることだろう。自分の思いもまた。

〈了〉

 

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