●大神小説1●お参り


お参り


 地上において人知れず繰り広げられた、大神アマテラスと常闇之皇との闘い。その終結からしばしの時が流れた頃のこと。

 天の浮島タカマガハラ。ヤマタノオロチの襲来により、住むものを無くしただ荒れた大地をさらすだけの世界。それも今は昔のこと。
 地面には薄く緑が広がり、わずかずつではあるが、徐々にかつての生命の息吹を取り戻しつつあった。その背の低い草が茂る一画に、色とりどりの花々が咲き乱れる場所がある。周りは緑と茶のまだら模様だというのに、そこだけが筆でもって塗りつぶされたかのように色にあふれている。その真ん中に腰を据えているものがあった。
 白い毛並みに紅の化粧。黒い瞳は澄んだきらめきを宿している。濡れた黒い鼻。ぴんと頭上にたった三角の耳。オオカミである。けれどこのオオカミ、どこかぽやんとした雰囲気で、獣特有の精悍さや猛々しさとはほど遠い。ついつい手をのばして撫でくりまわしたくなる。
 よくよく見ればこのオオカミ、全身がぼうっとした光に包まれている。それは毛皮覆われたさらに奥、身の内よりにじみ出しているようだ。このように光をまとうは力ある証。そして、この世においてこれほどの力の輝きをもつものはただひとり。否、一柱。なれば、このオオカミは獣にあらず。諸物をあまねく照らしたもう御方、アマテラス大神である。
 さて、その大神さまが座り込んで何をなさっているかといえば、周囲に咲く花を茎をくわえて器用に折り取っている。大地は蘇りつつあるといってもまだこれほどの花を咲かせる力はない。アマテラスは得意の筆しらべでもって花を咲かせたのだ。
「はぁ、キュートな光景だね」
 少し離れた場所でそうつぶやくのはウシワカである。金髪をなびかせるこの月の民の男は、アマテラスとともにタカマガハラに戻って以来、荒れた大地を復興のために飛び回っていた。アマテラスとは一緒にいるのが常になっていたが、気がついたらば白い姿が見えなくなったのだ。こういったことはこれまでにもたびたびあった。初めの頃こそ驚いてあちこち探し回ったものである。けれど、とうの大神さまといえば木陰で昼寝をしていたり、水場で泳いでいたりと自由気ままにしている。そういえば昔もこんな風だったなと、気の向くままに動くアマテラスの性質を思い出していた。そのため、ウシワカも今ではやれやれと困った笑みを浮かべながら、のんびりと白い姿を探すようになっていた。アマテラスはそうでもないかもしれないが、自分はあののんきな大神さまの姿が見えないと落ち着かない。
 ふいにアマテラスの頭が動いてこちらを向く。先ほどのウシワカのつぶやきが聞こえたわけではあるまい。おそらく気配を察したか。ウシワカが近寄ると、アマテラスはぶんぶんと尻尾を振ってくれる。と、ウシワカの袖をくわえてぐいぐいと引っ張る。
「なんだい? アマテラス君」
 素直に引かれるままにすると、さきほどアマテラスが摘み取った花のところへと近づけられる。花はきちんと揃えられ、束のようになっていた。それが三つ。そこで口を放すと、アマテラスはひと声鳴く。
「持てっていうのかい?」
 そうウシワカが尋ねれば、そうだと言わんばかりにまた鳴いた。ウシワカが両腕いっぱいに花を抱えるのをアマテラスは尻尾を振って見ている。この大神さま、美しい女性の姿が本来のものである。そちらになれば自分で持つこともできるだろうに。ちらりとウシワカはそう思ったが口には出さなかった。他愛のないことでもアマテラスを助けることができるのはうれしいことなのだ。
 ウシワカがすべての花束を抱え持つのを見届けると、とっとと駆け出す。
「ついて来いってこどなんだろうね」
 アマテラスが何も言わずに行ってしまうのは信頼の証。それは分かっているがなんだか少しさみしい。ひらりと身を返すと、滑るように後を追う。
 たどり着いた先、アマテラスが尻尾を振って待っている。そこは小さな泉の傍。水面がぼわっと淡い緑の光を放ち、ゆるい渦を描いている。これはかつてアマテラスが旅した現国の各地に開いていた人魚泉である。一瞬で泉と泉を行き来できる便利なものが、ここタカマガハラにも通じていたのだ。アマテラスはウシワカが何か言う前に水面にくるくると筆を走らせて、開いた光の扉に飛び込んでいた。息をひとつ吐くと、ウシワカも続いて泉へと飛び込んだ。
 着いた先はナカツクニ、カンモン砦のそばである。すたすたとアマテラスはそのまま砦の門をくぐっていく。ぐんぐんと潮風の吹く海岸を走り、行き着いたのはひときわ気持ちよく風が吹き抜ける場所だった。切り立った崖の上に立つ。その岬から望む海上には大きな渦が巻いている。夜になれば空には満点の星が同じように渦を描いているのが見えるだろう。そして、海上の渦はその底にある竜神族の住まう竜宮への入り口でもある。
 岬の突端でアマテラスはウシワカの腕から花束をひとつくわえて抜くと、頭を振るって放り投げる。ぽーんと放物線を描いて花束は海面へ落ち、浮き沈みを繰り返しながら漂っている。腰をおろしてアマテラスはアマテラスはその光景を見つめている。ウシワカはその隣で同じようにぼんやりと海を眺めてはいるものの、アマテラスの行動の意味が分からなくて、内心首をひねっていた。花束はゆっくりと流されて行き、渦の中へと飲み込まれていく。それを見届けると、アマテラスは立ち上がってふたたびカンモン砦の門をくぐり抜ける。慌ててウシワカもその後を追う。
 次にアマテラスが向かったのは関所近くの寺だった。餡刻寺という名のそこは、かつて法力に優れた尼僧が住職であったが、彼女が没して以来無人となっている。けれど、今でも寺を手入れしてくれる者があるのだろう。以前訪れたときと同じく簡素でこぎれいなたたずまいをしていた。寺の裏手に墓石がひとつ立てられている。アマテラスはその前で足を止めた。小さな墓である。刻まれた名はひとつ。訪れる者が後を絶たないのだろう、数多くの供物が小さな墓石を覆い尽くさんばかりに備えられている。アマテラスはふたたびウシワカの腕から花束をひとつ引き抜く墓前に供える。そのまま静かに墓を見つめる。墓石の後ろの岩壁。そこには隠された通路があり、西安京の内部へと通じていることを知っている。そして、その場所でひとつの命が消えたことも。
 長いことアマテラスは墓の前でじっとしていたが、腰をあげてまた走り出す。そのころには、ウシワカにもアマテラスの行動の意味が分かってきた。そして、この後、どこへ向かうかも。西安京の最奥。貴族街に建つひときわ大きな館。西安京の女王の住居であった場所。その裏手の堀に注連縄を結わえた四本の石柱。先の女王の慰霊碑である。妖怪の手より都を護るために命をなげうったその女王の名は深く人々の心に刻まれていることだろう。アマテラスは最後のひと束をウシワカの腕から取ろうとする。それより先に、ウシワカは花束を石碑の立つ水面へと投げた。
「これぐらいはミーにもやらせておくれよ」
 彼女との関わりは深いんだから。と、不満げにうなるアマテラスに片目を瞑ってみせる。
今回の道行は弔いのためのものだった。かつての旅の途中、アマテラスとともに戦い、散っていった者たちへの。
 龍王ワダツミ。
 尼僧ツヅラオ。
 女王ヒミコ。
 今の世の平穏があるも彼らの尊い犠牲のたまもの。そのことを決して大神アマテラスは忘れることはない。これからも、永遠に。
 ゆっくりと水面に浮かぶ花。それを見つめながら笛を取り出し吹き奏でる。紡ぎだされる音の羅列はかつてヒミコによく聞かせたもの。
(ゆっくりおやすみ、尊き魂たちよ。ミーはもうアマテラス君が悲しむようなことが起きないように、ともにこの世界を護っていくよ。ともに生きていくよ)
 鎮魂の曲であり、決意の曲。両島原の空へ海へと染み入ってゆく。

〈了〉

 

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